母の日・花の日合同礼拝でした。  2024.5/12(日)

≪今週のみ言葉≫

「それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。」

ルカの福音書2章51

   説教題:『両親に仕える』    聖書:ルカの福音書2章41~52

<「母の日」の由来>アメリカのウエストバージニア州のメソジスト教会のアンナ・M・ジャービスというクリスチャン婦人は41歳の時、最愛の母 アン・ジャービス婦人を天に送る悲しみを味わいました。母の二周忌の1907年5月12日、教会学校で26年間子どもたちに聖書を教えていた母を偲び、教会で記念会をもちました。在りし日、母が子どもたちに「聖書に『あなたの父と母を敬え』出エジプト20・12とありますが、どのようにお母さんに感謝を表したらよいか、皆さん考えてみて下さい」と言ったことを思い起こし、その記念会でお母さんが好きだった白いカーネーションを列席者に配り、大きな感動が起こりました。1914年、ウイルソン大統領によって公の祝日と制定されました。日本で5月第2日曜日が「母の日」に定着してきたのは、1949年頃からだと言われています。私たちの教会の創立年と同じ頃からです。

.子どもたちへの教え 本日の聖書箇所は、少年イエスについての唯一のエピソードです。「イエスが十二歳になられたとき」(42)とありますから、今の小学6年生の頃の話でした。毎年両親と共に、過越の祭にエルサレムに上っていたのでしたが、祭りが終って帰路についたとき、両親はイエスがいないのに気づき、エルサレムまで引き返し、三日後に宮でイエスが教師たちの真ん中に座って話を来たり質問しているのを見つけました。マリアは「どうしてこんなことをしたのですか。見なさい。お父さんも私も、心配してあなたを捜していたのです。」(49)と言ったのでした。するとイエスは両親に「どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。」(49)と言ったのでした。この言葉を両親は理解出来なかったと記されています。(50)この時、既にイエスは自分の父は神であり、神殿は父の家、そして自分はこの父の息子ということを悟っておられたのでした。両親がそのことを理解出来ないからといって、イエスは彼らを軽んじたりはせず、今日のみ言葉のように、「それからイエスは一緒に下っていき、ナザレに帰って両親に仕えられた。」(51)のでした。私たちの誕生のための母の苦痛、育てる上での母の苦労、それだけ考えただけでも、どんなに母(父)に感謝しても足りないと思うほどです。少年イエス様の姿は子どもたちの模範です。父の大工仕事を助け、母や弟妹の面倒をみられたのでした。

.大人たちへの教え 「人となって下さった神の子イエス」の33年半の生き様は、すべての年代のすべての人の模範です。まずは「魂の父なる神への全き従順」そして、人として「愛と謙遜をもってすべての人に仕える」姿です。十字架上での第三言、母マリアに「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です。」と言われ、愛する弟子ヨハネに「ご覧なさい。あなたの母です。」と言われ、父ヨセフ亡き後のマリアをヨハネの手に委ね、母マリアの子としての本分をあの激痛の中ですら果たされたのでした。

<お知らせ>

▶ 5月第2日曜日、全世界で「お母さん、ありがとう!Thank you! Mother! 」と感謝が贈られる美しい日です。

▶母の日」はアメリカの一人の婦人クリスチャンから始まり、アメリカでは1914年、ウィルソン大統領によって公の祝日と制定され、日本で5月第2日曜日が「母の日」に定着してきたのは、1949年頃からだと言われています。私たちの教会創立年と同じ!75年前からでした。

▶6月第2聖日「花の日」は、1856年、アメリカの牧師により始まりました。特に子どもたちが花のように美しく」との意を込めてでした。私たちの教会では2010年より「母の日・花の日」として花の多い5月にドッキングして行うようになりました。

▶日頃の感謝を込めて「消防署」と「交番」に子どもたちと教会学校の先生方とで「花バスケット」を届けます。

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5月最初の礼拝でした。2024.5/5(日)

≪今週のみ言葉≫

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」ルカの福音書5章32

 説教題:『キリストの招き』    聖書:ルカの福音書5章27~32

 本日もイエスによる「弟子の招き」です。先週は4名の漁師たち、ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの選びと召しでしたが、本日は、レビ、又の名はマタイの召命です。

Ⅰ.招かれたレビ(27,28) 「収税所に座っているレビという取税人」(27)とあります。当時、ユダヤの国はローマの属国でしたので、ローマ帝国に対しての税金の徴収を請け負う人であり、しかも取税人たちはたいがい余分な税金を取り立てて金儲けの手立てとしていましたので、人々の目には、取税人=罪人と見なされ、会堂(シナゴーク)を中心とする神の民の共同体からは排除されていた存在でした。そのレビに、主イエスは、「わたしについて来なさい」と声をかけられたのでした!「するとレビは、すべてを捨てて立ち上がり、イエスに従った。」(28)のでした。即刻の徹底した応答であったことが分かり、レビの心の内の喜びが伝わってきます。更にはレビはイエスと弟子たち、そして取税人たちや他の人々を招いて「イエスのために盛大なもてなしをした。」(29)のでした。自分を含め、持てるものすべてを捨てる、即ちささげて神の国のために用いて頂こうとの決意の表れでした。すると、いつものようにパリサイ人たちや律法学者たちが文句を言い始めます。小声で、しかもイエスの弟子たちに向かって言ったのでしたが。「なぜあなたがたは、取税人たちや罪人たちと一緒に食べたり飲んだりするのですか。」(30)そこで、イエスが答えられたのでした。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためでははく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」(31,32)【「悔い改め」の語は、並行記事(マタイ、マルコ)の中で、ルカのみに出てくる、ルカ文書の一つである。罪人への分け隔てない招きが単なる食事の招きではなく、神の国に入る「悔い改め」(ギリシャ語「メタノイア」、心の方向転換)への招きであることが示されている。】(『牧羊者』p.38)

Ⅱ.マタイの福音書 レビとは親がつけた名前、マタイは主がつけられた名前で、「主の賜物」という意味です。主イエスは、レビに与えられている賜物を見抜いておられ、招かれました。改めてマタイの福音書をそうした光で思い巡らし感動します。ユダヤ社会でそのような扱いを受けながらも、彼はユダヤ人のためにこの福音書を記しました!「系図」から始まり、「預言の成就」のみことばにあふれています。彼は主イエスの自分への招きについて、9・9~13に記します。そして十二弟子の名を連ねる時、「取税人マタイ」と記します。(10・3)自らの掘り出された岩を忘れず、主イエスの招きにどこまでも感謝している魂でした。そして主イエスの招きの代表のようなみことばを11・28に記します。「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」天国民の幸いを語られた主イエスの祝福に満ちた山上の説教、5・3~10は、みごとにマタイの筆によって記されました!改めて多くの霊の味わいを頂きます。

<お知らせ>

▷霊のGW(ゴールデンウイーク)です。第89回塩屋聖会が、5/3(金・祝)5/4(土・祝)5/6(月・祝)と行われています。YouTube配信にて、霊の恵みにあすかって下さい。

▷次週5/12(日)は「母の日」ですが、当教会では、6月第2聖日の「花の日」とドッキングして行っています。「母の日・花の日合同礼拝」です。年齢を問わず「女性」の皆さんには「美味しいパン」のプレゼントを用意します。どなたも大歓迎!「人はパンだけで生きるのではない。」(マタイ4:4、ルカ4:4)のですから、神様からのメッセージも聴きにおこし下さい。子どもたちのための「CSタイム」(教会学校タイム)もあります!ご家族でどうぞ!

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4月最終聖日でした。2024.4/28(日)

≪今週のみ言葉≫

「彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。」ルカの福音書5章11

   説教題:『キリストに従う』    聖書:ルカの福音書5章1~11

「キリストの宣教」のテーマのその2は《弟子への招き》です。正式に12名の弟子の選びはルカ6・12~16に記されています。「すなわちペテロという名を与えられたシモンとその兄弟アンデレ、そしてヤコブ、ヨハネ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、熱心党と呼ばれていたシモン、ヤコブの子ユダ、イスカリオテのユダで、このユダが裏切る者となった。」(14~16)その初めの主要な4人、シモン・ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの召命の場面です。これらの弟子たちを使徒と呼ばれて、主は宣教に遣わされるのです。

Ⅰ.おことばですので(5)。 「ゲネサレ」(1)とは、北のガリラヤ湖畔の西北にある町、他には「キネレテ」湖畔とも聖書には記されています。神の言葉を聞こうとして押し迫ってきた群衆を見て、岸辺にあった二つの小舟の一つに乗り(それはシモンの舟でしたが)陸から少し漕ぎ出してもらって舟から群衆に教えられました。話が終ってシモンに言われました。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」(4)と。するとシモンは答えます。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」(5)「そして、そのとおりにすると、おびただし数の魚が入り、網が破れそうになった。そこで別の舟にいた仲間の者たちに、助けに来てくれるよう合図した。彼らがやって来て、魚を二艘の舟いっぱいに引き揚げたところ、両方とも沈みそうになった。」(6,7)彼らはプロの漁師でした。夜通し働いて捕れなければ、当然明け方捕れるはずはないとの認識のもとでしたが、「でも、おことばですので」(5)と、イエスのおことば通りにしたところ、予想外の大漁に彼らは驚きました!そればかりでなく、シモン・ペテロのうちには、主への畏れが湧き上がり、イエスの足もとにひれ伏して言いました。「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」と。

Ⅱ.イエスに従った(11)。シモン・ペテロのように、主への畏れを覚えたのは、.アンデレにしても、ヤコブ、ヨハネにしても同様だったに違いありません。その時イエスはシモンに言われました。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」(10)と。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4・19,マルコ1・17)そして本日のみことばです。「彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。」(11)「彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。」(マタイ4・20)「彼らはすぐに舟と父親を残してイエスに従った。」(マタイ4・22)「すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。」(マルコ1・18)「すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちとともに舟に残して、イエスの後について行った。(マルコ1・20)弟子とは、主のみ声(みことば)を聴いて従う者たちです。自らの無力さと、罪深さを知り、キリストのみ声に従い、人を捕る漁師とされたいものです。

<お知らせ>

▷早くも4月最終の礼拝でした。5/1(水)には「今月のお祈り」「今月のメッセージ」「ヘッダー(もっこうばら)が更新されます。

▷先週の臨時総会の結果をお知らせします。

①2026.5/4、5・ウィルグラハム・セレブレーション「愛と希望の祭典・四国」への教会としての賛同と協力に関しては、可決。

②「新会堂」香南由佐候補地購入と現会堂駐車場売却に関しては、2/3以上の賛成票に2票不足して否決となりました。続いて「プロジェクト希望にむかって委員会」にて語り合い、祈っていきます。ご加祷下さい。

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臨時総会が行われました 4/21(日)

≪今週のみ言葉≫

  「人はパンだけで生きるのではない。」 ルカの福音書4章4

   説教題:『神を礼拝する』    聖書:ルカの福音書4章1~13節

 4月~5/19㈰ペンテコステまでの『牧羊者カリキュラム』は、「キリストの宣教」がテーマです。本日のテキストは、イエスが宣教に立ち上がる前の、「荒野の誘惑」です。【「聖霊に満ち」た主イエスが、「御霊によって荒野に導かれ」誘惑にあわれたのです。ましてや私たちの信仰生涯が誘惑と無縁のはずはありません。主がどのように誘惑に打ち勝たれたかを学びましょう。】(『牧羊者』p.23)

 Ⅰ.悪魔からの誘惑 

①石をパンに。 「それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。(マタイ4・1~2)「そこで、悪魔はイエスに言った。『あなたが神の子なら、この石に、パンになるように命じなさい。』(3)先のイエスの洗礼の場面で、「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」(3・22)との天の父からの声を逆手にとっての誘惑でした。それに対する答えが、本日のみ言葉です。「人はパンだけで生きるのではない。」(4)申命記8・3の引用でした。 

②私(悪魔)を拝むなら。 第二の誘惑です。 悪魔はイエスに、自分にひざまずくならば、「国々の権力と栄光を全てあなたにあげよう」(6)と、イエスを高いところに連れて行って言いました。<自分に一度きりでもひざまずくなら>という意味の言葉だと教えられました。それに対してイエスの答えは、「『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」(8)と、申命記6・13を引用されました。

③ 神を試みる。 第三の誘惑は、エルサレムの宮の屋根の端にイエスを立たせて、言いました。「あなたが神の子なら、ここから下に身を投げなさい。『神は、あなたのために御使いたちに命じてあなたを守られる。彼らは、その両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。(9~11)と、詩篇91・11,12のみことばを引用して誘惑しました!主イエスは、ここでも「『あなたの神である主を試みてはならない。』と言われている。」と申命記6・16を引用され、悪魔を退けられました。「悪魔はあらゆる試みを終えると、しばらくの間イエスから離れた。」(13)のでした。しばらくの間ののちが、カルバリの十字架だったのです。

 Ⅱ.勝利者イエス  

① みことばによる勝利。「と書いてある」(4・8)「と言われている」(12)と、主イエスは、神のみことばで勝利されました。第三の誘惑では、みことば本来の意味をよく悟られた上で、たとえ悪魔がみことばを引用したとしても、なお確固たるみことばで撃破されました。  

② 同情してくださる大祭司イエス。「イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。」(ヘブル2・18)「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。」(ヘブル4・15)「ですから」と、16節の勧めが語られます。恵みの御座にいつでも大胆に近づきましょう!

<お知らせ>

▶本日は、礼拝に続いて祈りを積んできました「臨時総会」でした。2つの議題でした。

▶①2026.5/4.5「愛と希望の祭典・四国」(ウィルグラハム・セレブレーション)への賛同と協力の件。全員賛成で進めることになりました。

▶②新会堂候補地「香南由佐」地区取得と現会堂・駐車場売却の件については、次週・お知らせします。お祈りを感謝します。

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召天者合同記念礼拝でした。 2024.4/14(日)

≪今週のみ言葉≫

「しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。」 ピリピ人への手紙3章20節

説教題:『天に私の名が』 聖書:ピリピ人への手紙3章17~21節

毎年、イエス・キリストの復活を祝い記念する「復活祭(イースター)礼拝」の翌週に「召天者合同記念礼拝・墓前礼拝」を行っていますが、今年はその間に結婚式が入り、本日となりました。年に一度のこのような礼拝ですが、私はある年から「いや、年に一度ではない。毎週の礼拝が天上の聖徒たちとの合同の礼拝だ」とひらめき、礼拝が一層豊かなものとされてきた思いがします。この「ピリピ人への手紙」は、キリストの使徒パウロが、信仰のゆえに迫害を受け、捕らえられローマの獄中からピリピの教会へ宛て書いた手紙です。それなのにこの書簡は「喜びの書簡」と呼ばれ、まさにその通りの内容です。「私に倣う者となってください。」(17)何という確信!「多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光とし、地上のことだけを考える者たちです。(18,19)さて私たちはどうでしょうか。

Ⅰ.地の国籍・天の国籍 地上の国籍を意識したのはパスポート(旅券)を手にして海外に行った時でした。英国、イスラエル、韓国、ドイツ、スイスと旅をしました。パスポートの印刷に心が止まりました。「日本国民である本旅券の所持人を通路故障無く旅行させ、かつ同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。」日本国外務大臣印とあり、改めて旅券の意味を悟ったことでした。そうです、日本国民・日本に国籍を持つ者です。それでは天の国籍とは何でしょうか。「私たちの国籍は天にあります。」(20)それはどのようにして与えられるのでしょうか?それは「新しく生まれる」ことによってです。ヨハネの福音書3章1~16節に、イエスとユダヤ人議員のニコデモとの対話が記されています。新しく生まれなければ、神の国を見ることも神の国に入ることもできませんとイエスは言われ、聖書中の聖書と言われる16節を語られます。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」十字架で救いの道を開いて下さった救い主イエス・キリストを信じ受け入れる時、悔い改める罪が赦され、新しい清い神の永遠のいのちが与えられます。バプテスマにあずかって、天に名が記されるのです。そして「天に国籍を持つ者」とされるのです。そしてやがて迎えに来て下さる主イエスを待ち望みつつ、地上を旅人として過ごしていきます。

Ⅱ.栄光のからだに 十字架で死なれ葬られましたが、三日目に父なる神の大能の御力によってよみがえらされた復活の主は、「天においても地においても、すべての権威が与えられています」(マタイ28・18)と宣言されました。その御力によってキリストは再びこの地上に来られる時(再臨)「私たちの卑しいからだをご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。」(21)ご自分のかたちに人を造られた神は、100%責任を果たして下さいます。何という輝かしい希望でしょうか!

<お知らせ>

▶本日は召天者との合同の記念礼拝でした。信仰の馳せ場を走りぬいて天に召され主のご再臨を待ち望む懐かしい方々を偲び私たちも復活の主と共に「天のゴール」を目指して歩んでまいります。

▶次週4/21㈰は礼拝に引き続いて新会堂に関する臨時総会が行われます。「香南由佐候補地」へ一致して進んで行けますようにお祈り下さい。もう一つは「2026.5/4,5 松山でのウィル・グラハム大会『愛と希望の祭典・四国』への参加支援に関してです。いずれにしても主の「大宣教命令への応答」として可決されますように!

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