• 教会創立77周年記念礼拝でした。2026.10/4(日)

    <今週のみ言葉>

    「このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。」ローマ人への手紙 5章2節

    「きのう きょう あした」M兄による 奨励・証し (ローマ人への手紙5章1~5節より)

     今年の10月第1主日は当教会が伝道開始77年、現礼拝堂献堂66年を迎えた日です。私は実年齢86歳、信仰年齢70歳を迎えました。

    1956年~2001年 

     この期間は、私が初めて教会に出席し、キリスト者として生まれ変わり、教会生活を始めた時期です。1956年の夏休み前、15歳・高1の時、クラスの友人に誘われて初めて教会に行きました。玄関に「日本イエス・キリスト教団高松新生教会」と看板がありましたが、教会というイメージとは全く違った小住宅で、祈祷会がもたれていました。何もわからないまま時間が過ぎたのですが、ここは今まで経験したことのない所だと感じました。当時の私は小心で心配性、不安を抱えた高校生でした。自分を変え、後悔しない生き方をするためにと、野木牧師に勧められて聖書を読み始めました。1956年秋の天幕集会で、講師の本田弘慈先生のユーモアある説教が暖かく心に響き、素直に心を開いてキリストの十字架の救いを信じる決心をしました。その時のみ言葉は、「・・ここに愛がある。」 (1ヨハネ4:10)です。1957年6月、香東川で小豆正夫師から洗礼を受けました。(17歳) 当時の教会は中新町にあった小さな借家の畳敷きで、教会員と求道者が集まりいつも満席でした。特に若い人が多く元気に溢れ、新しい教会堂の必要に迫られていました。それで、教会員全員で祈って、土地探しが始まりました。ある日、野木牧師が道を歩いている時、「主の栄光はその都の中心から上って、都の東にある山の上にとどまった。」(エゼキエル11:23)というみことばが示されました。今まで町の中心ばかりに土地を求めていましたが、そうではないと示されたのです。その後、役員の多田兄から報告があり、新しい教会建築をする土地が紹介されました。それは街はずれの、うら寂しい山裾の土地で、周囲は広くお墓が見え、住宅はまばらで、おまけに湿地帯のような田んぼが広がる、通称「姥が池」と呼ばれていた宮脇町の土地でした。 教会は、このような土地(92坪)を、信仰を持って購入したのです。これが現教会堂が立つ場所です。道路は舗装されない細道でした。

     1958年9月7日(高校3年生の時)、臨時総会が開かれ、会堂建築が可決されました。翌年、教会の献身者である横田武幸師が神学校を卒業、伝道師として高松に派遣されてからは会堂建築の作業は急速に進んでいきました。同年4月に定礎式を行い、その後、突貫工事が進められ、9月24日には喜びと感激の献堂式が行われました。 1960年の総会資料によれば、170万円の予算見積もりに対して、総工事費は184万2千3百8十7円で、負債は58万7千7百円ありました。しかし、1962年に、わずか3年の期間で会堂負債の全額を返済することが出来たのは非常な驚きでした。それだけ教会に勢いがあったのです。しかし、会堂は建ちましたが、礼拝堂の椅子を入れることができず、リンゴ箱や段ボールを机や椅子にして礼拝を守りました。6年後、1964年に会堂椅子(現在のもの)が与えられました。

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