• 7月 聖餐式礼拝でした。2026.7/5(日)

     「しかし、彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。』」 ヨハネの福音書8章7節

             説教題 : 「キリストの善意」     聖     書 :ヨハネの福音書8章1~11節

    「愛」、「喜び」、「平安」に続く御霊の実は、「寛容」、「親切」、「善意」です。これらは他者との関係の中で結ぶ御霊の実です。キリストの善意に満ちたことばと態度は、パリサイ人律法学者たちの悪意の中にあらわされました。

    1,律法学者、パリサイ人の告発(1~6)

    朝早く民衆を教えておられた主のもとに、律法学者とパリサイ人たちが、姦淫の現場で捕らえられたひとりの女を連れてきました。(4,5) 彼らの狙いは主を陥れることで、女はそのための道具にすぎませんでした。(6)主は黙ったまま、彼らに背を向けて身をかがめ、指で地面に何かを書いておられました。主は、彼らの悪意に対して沈黙されます。問い続ける彼らに立ち上がった主は、「あなたがたの中で 罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と語られました。「罪がない者が・・最初に石を打て」との鋭いことばに問われたとき、「自分は罪などない」と言える者は一人もいなかったのです。

    2,主イエスの善意に満ちたことばと態度(6~11) 

    主イエスと律法学者、パリサイ人たちは、「善意と悪意」という点で、非常に対照的な姿を現しています。主の善意は、パリサイ人律法学者たちの悪意の中にあらわされました。 

     ①「待つこと」 主イエスが身をかがめ指で字を書いておられる姿は、どんな意味があったのでしょうか。彼らに背を向けて身をかがめ、指で何か字を書いておられるイエスのお心には、彼らに対する憐みと祈りがあったことでしょう。善意と愛は、相手の悪意に対し忍耐強く、彼らが本来の姿に立ち返ることを望み、そして、それを待つのです。 

     ②「思いやること」イエスは、立ち上がって一言お答えになると、もう一度身をかがめてもはやそれ以上何も言われませんでした。どこまでも、彼らの良心に訴え、彼らが自分の罪に気づき、悔い改めて神に立ち返る機会を与えようとされたのです。

     ③罪の指摘の仕方 主が初めから願っていたことは、律法学者とパリサイ人が自分たちの罪に気づいて、悔い改めることでした。「善意」は罪を指摘するときでも、相手が立ち直っていくことを切に願うのです。これは、主の女に対することばにも明らかです。「『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。』(11) 神が、人間の罪を指摘されるのは、滅ぼすためではなく救うためなのです。私たちは、果たして「善意の人」でしょうか。「主は善にして、善をなされるお方です。」 詩篇119:68 

     私たちの主は、常に良いお方です。私たちは、このお方に全面的に信頼していくことができるのです。

MENU
Back to top