- 2026.6/14㈰
説教題 「キリストが遺されたもの」 聖書 ヨハネ14:25~31
「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」 (ヨハネの福音書 14章 27節)
キリストは「最後の晩餐」の席上、弟子たちに最後に伝えておくべきことを語り、弟子たちのために祈りをささげられました。その中でも、主が弟子たちに与えたいと切に願われたものは「平安」でした。その平安とは、どのようなものでしょうか。
1,「わたしの平安」
主は、平安について教えておられるのではありません。「わたしの平安」とは、十字架を前にご自身が持っておられた平安です。主は人として生き人が不安を抱く条件、心を騒がせる状況をことごとく経験されました。その上で心の中にいつも持ち続け、養い続けられた平安です。様々なことが主のご生涯を襲い、とりわけ、ゲッセマネや十字架で、罪のないお方が人の罪をその身に負われた出来事を覚えます。(マタイ26:36~38)このような出来事に直面し、あらゆる種類の苦しみを通過しつつ、主イエスが保ち決して失うことがなかったのが平安であったのです。
2,「世が与える(平安)とは違う」 この世が与え約束する平安、その代表例がキリストのたとえの中で農夫が経験した“わずか一日の平安”です。(ルカ12:19) 「豊作」がもたらす富の豊かさが彼に平安を与えたのです。これこそ、世が与える平安の中身です。この農夫は懸命に働き、ため込み、何を得ようとしたのでしょう。それは、「将来の安心」と「魂の平安」です。 これこそ、今日の誰もが必死で求めているものです。しかし、その安心、魂の平安の中身はどんなものかが問題です。主は、「愚か者」と呼ばれ、「お前の魂は、今晩取られる。そうしたら、お前の残したものは、一体だれのものになるか。」と言われました。この世は「万事金」、「万事健康」、「万事幸運」と信じ込み、神々を拝み、おかげをいただこうとします。しかし、主は、このたぐいの平安が一瞬にして消え去り、弱く、はかないものであることを指摘されました。では、キリストの与えられる安心、魂の真の平安はどこにあるのでしょう。
3,神とイエス・キリストを信じ、信頼する
「あなたがたは、心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(14:1)と言われました。 主は、私たちの日々の必要と、将来を約束してくださる「あなたがたの天の父」にこそ信頼することを命じられました。
そのお方にこそ、動かされることのない確かな安心と魂の平安があります。
「私は、あなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。」
(ヨハネ14:27)
