- 春の到来を待望しつつ。 2026年2月8日(日)
<今週のみことば>
「一粒の麦は,地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」 ヨハネの福音書12章24節
説教題: 『一粒の麦』 聖 書:ヨハネの福音書12章20~28節
ラザロの復活という未曾有の出来事により、イエスの人気はますます上昇し、「祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。」(ヨハネ12・10)とまで記されています。過越の祭を迎え、いよいよ主イエスのエルサレム入城です。
Ⅰ.群衆の歓迎 祭りに来ていた大勢の群衆はなつめ椰子の枝を持って迎えに出ていき、叫びました。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」(13)群衆は当然の如く、この力あるイエスこそが、自分達をローマの支配から解き放って下さるイスラエルの王に違いないと信じて期待していたのでした。実は側近の弟子たちでさえも同じように思っていました(16節参照)。しかし不思議ではなかったでしょうか。その王なるお方が、一匹の子ろばの背に乗って入城されたのでした!ゼカリヤ9章9節の預言の通りでした。「娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。」主イエスのご生涯は、万事『預言の通り』であられたのです。イエスの聖書に向かわれる態度は、まさにこの一点。「御父がご自分にどう生きるかを示していて下さるのかを悟って行動された。」と、F.B.マイヤー博士は記しておられます。ですから、熱狂的な群衆の歓迎にも、みじんも揺るがされることはありませんでした。
Ⅱ.人の子の栄光 「人の子が栄光を受けるときが来ました。まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」(24)弟子たちや群衆の願いとは全く裏腹に、イエスは「受難の道を通って、栄光に入られる」のでした。「受難」ゲッセマネの苦祷、カルバリの十字架への道でした。まさに、一粒の麦が地に落ちて死ぬ道を行かれました。であればこそ、復活の恵みを通して、魂を永遠の命に生かすミッション(使命)が果たされることになったのでした!一粒の麦として死ぬ生き方とは、「自分のいのちを憎む生き方、イエスに従い、仕える生き方」(25、26)です。そうしてこそ、豊かな命の実が結ばれていくのです。
<1979年9月26㈰㈬英国からの帰国時の証詞> 「海外宣教祈祷会」がインマヌエル神学校で毎週水曜日に行われ、V.マグラス先生のプレーヤー・レターに「進学の悩みの中で6人の若者たち(最年少は9才)の自殺」を知り、重荷が魂にのしかかりました。涙の祈りの内に、ヨハネ12・24のみことばを頂いて、日本に帰国と言うより、遣わされて、今に至っています。
<お知らせ>
▷2/4㈬が立春でした。心はほんのり暖かくなりますが現実はまだ寒い中です。守られて礼拝や祈祷会に励みたいものです。
▷『愛と希望の祭典・四国』ももう目の前に迫りました!あと85日です。バス(無料送迎バス)の予約も始まりました。アンデレカードで祈られている方々が導かれ救われまた献身者がおこされますようにと教会で個人で祈っています!お祈りください、またどうぞご参加下さい!!
