- 父の日礼拝でした。 2025.6/15(日)
≪今週のみ言葉≫「ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
使徒の働き3章6節
説教題:『キリストの名の力』 聖 書:使徒の働き3章1~10節
6月第3日曜日を「父の日」として記念している国は、日本を含め世界で27カ国ほどです。2月や8月に「父の日」を祝う国もあります。
Ⅰ.「父の日」の由来 1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dod)が、男手一つで自分を育ててくれた父親を讃えて、教会の牧師にお願いして、父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。彼女が幼い頃、南北戦争が勃発、父ウィリアムが招集され、彼女を含む子ども6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元で、ウィリアムの復員後、まもなく亡くなった。以来男手一つで育てられたが、ウィリアムも子どもたちが皆成人した後、亡くなった。最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われた。当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と、牧師協会へ嘆願して始まった。1916年アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンはスポケーンを訪れて父の日の演説を行い、これにより父の日が認知されるようになった。1966年アメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンは父の日を称賛する大統領告示を発し、6月第三日曜日を父の日に定めた。1972年になり、アメリカでは正式に国の記念日に制定された。
母の日の花がカーネーションなのに対し、父の日の花はバラ。ソノラ・スマート・ドッドが父の日に父親の墓前に白いバラを供えたからとされている。1910年の最初の祝典の祭には、YMCAの青年が父を讃えるために、父が健在の者は赤いバラ、亡くなった者は白いバラを身につけたと伝えられている。
Ⅱ.キリストの名の力 「生まれつき足の不自由な人」(2)(40才を過ぎた男の人4・22)ペテロとヨハネは〈人生を諦め、希望を失ったこの男性を見たとき、内側から憐れみの心と、イエス様なら何かをして下さるという信仰が湧き上がりました。〉3節の「見て」は認める、気づくという普通の「見る」。4節の「見つめて」は緊張して視線を向けて見ること。5節の「目を注いだ」は注目してしっかり捉えること。①希望の神。失望の中にその日暮らしをしていたこの男の人は、希望の神を知る2人と出会いました。②力の神。2人に注目したものの、金銀ではなく、想像と期待を遙かに超えた心身の癒やしを与えられました!「キリストの名」とは「実体」「実在そのもの」です。「立ち上がり、歩きなさい」との声を聞き、右の手を取られて彼は「躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。」(8)のでした。〈この男の奇跡のクライマックスがここにおいて起こるのである。その生命が新しくされ、新たな生涯、祈りと賛美の生活が開かれたのである。〉(『牧羊者』p.70)『キリストの名の力』へのさらなる信仰を!
<お知らせ>
▶「父の日」も「母の日」同様アメリカのクリスチャン婦人から始まりました。麗しいことです。更には「父」と言えば、「唯一まことの父なる神様」に直結していきます。この神様に感謝の礼拝をささげ、父なる神の代理人のように立てられているすべての「お父さんたち」の上に祝福をお祈り致します。
▶婦人会からのプレゼントのランチを囲んで楽しい愛餐の時が持てて感謝です。