• 2月最初の聖日礼拝でした。2025.2/2(日)

    ≪今週のみ言葉≫

       

       説教題:『神はわれらの避け所』   聖書:詩篇46篇1~11節 

       

     旧約聖書の39巻の分類は、「モーセ5書」(創世記~申命記)、「歴史書」(ヨシュア記~エステル記)、「詩歌(しいか)」(ヨブ記~雅歌)、「大預言書」(イザヤ書~ダニエル書)、「小預言書」(ホセア書~マラキ書)となり、今週から3回に亘って「詩歌」の中から恵みを頂きます。本日は詩篇46篇からです。

    Ⅰ.避け所なる神 中心聖句は7節にも11節にも繰り返されてあり、この詩篇全体の基調とも言えます。「万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。」(7,11)「苦しむときそこにある強き助け。」(1)とあります。日本にも世界にも、多くの災害が起こる中で、「避け所」「砦」「隠れが」「避難所」はどうしても必要です。集団としてだけでなく、日々の生活の中で、個人としても様々な嵐や災いが降りかかってくる中で、単なる肉体のための防禦のみでなく、精神的な、また霊的な意味での「避け所」がどうしても必要不可欠です。神こそがまさにそのようなお方であると詩人はうたいます。「苦しむとき」は勿論のこと、平凡な日々の歩みの中にあっても「そこにある強き助け」であられる神を知り、信じる幸いは計り知れません。それゆえ われらは恐れない。」(2)との確信が与えられます。

    Ⅱ.力なる神 「たとえ地が変わり 山々が揺れ 海のただ中に移るとも。たとえその水が立ち騒ぎ 泡だっても その水かさが増し 山々が揺れ動いても。」(2,3)「われらは恐れない。」と言えるでしょうか!?『力なる神』を避け所としていればこそ、言うことができるのです。人間が作った神ではない何かがあれば持ち運び出してあげなければならない神ではない。「あなたがたは目を高く上げて、だれがこれを創造したかを見よ。その方はその万象を数えて呼び出し、一つ一つその名をもって呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。」(イザヤ書40・26)詩篇46篇を開けばすぐに思い浮かべる人物と賛美があります。ドイツの宗教改革者マルチン・ルター(1483~1546)です。礼拝で歌った新聖歌280番は詩篇46篇をもって、ルターが作詞・作曲したものです。旧教から新教への熾烈な霊の戦いは、この神なくしては成し遂げられなかったことでした。ウオルムス会議場へ向かうルターは、人々の心配するがゆえの反対に対して「悪魔の数がウオルムスの屋根の瓦ほどいても、わたしは行く!」と、自分で作詞作曲した賛美を歌いながら堂々と入場したと言われています。そして1517年10月31日『宗教改革』は、ルター34歳の時に成し遂げられたのでした!「信仰のみ」『聖書のみ」「万人祭司」の3本柱が掲げられ、プロテスタント誕生となり、お互いも今、その恵みの中に保たれています。

        <お知らせ> 

    ▶「逃げる2月」に入りました。昨日、「今月のメッセージ」「今月のお祈り」

    「ヘッダー(ろう梅)」が更新されました。

    礼拝に続いて「教会総会」が行われます。新しい年度に向けての準備の大切な月とも

    見ることができる2月が人知を越えた神様のすばらしいご計画へと導かれる祝福の月となりますようお祈りいたします。

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