隣人 ルカ10:25-37

「この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」(36節)

「自分の正しさを示そうとして」(29節)「自分の立場を弁護しようと思って」(同節、協会訳)。この「自己弁護」はいかに人のたましいに深く巣喰っていて、真に神を愛し、人を愛する大きな障害となっていることでしょう!強盗によって半殺しにされた旅人をめぐる三人の姿です。「祭司」は神と人との仲介をする尊い存在でありながら、彼を認めながらも反対側を通り過ぎて行きました。神殿の働きのため聖別されたレビ人も同じように。ユダヤ人とは反目の間柄のサマリヤ人は、「かわいそうに思い」至れり尽くせりの親切を施しました。まさに我を忘れての無私の愛の姿でした。主のおことばの中にある含みを覚えます。「では、私の隣人とは、だれのことですか」との問いに対し、「だれが強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか」と。「だれが隣人であるか」とは少し違うようです。

神と共に歩む日々 小野淳子著