神のともしび

主はきて立ち、前のように「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った。「しもべは聞きます。お話ください」。 サムエル記上 三章十節

ひまわり「そのころ、主の言葉はまれで、黙示も常ではなかった」(一節)というまさに暗黒度の濃い中に、しかし、「神のともしびは、まだ消えず」(三節)との光に慰められます。これこそ少年サムエルの姿そのもののようです。老祭司エリは肉とともに霊の目もかすみ、耳も鈍くなっていたようで、一度目、二度目、三度目にやっと、神がサムエルを呼んでおられることがわかったのでした。サムエルが教えられたとおり、「しもべは聞きます。お話ください」と申し上げ、神の声を聴きました。大変な内容でした。
神の人はしばしば、聴きたくないことも聴き、語りたくないことも、神からのメッセージとして語ります。輝く神のともしび、預言者サムエルを、このように神が備えられました。かくも若きサムエルを、です。

(小野淳子著「神と共に歩む日々」より)