主にあって ハバクク書3:1-19

「しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。」(18節)

2015.10月の花神と格闘した預言者、見張り所に立って神と問答したハバククは、エレミアと同時代、紀元前7世紀末に登場。ユダ滅亡寸前の霊的堕落に対し、主よ、いつまで?と神に訴え、やがて神はカルデヤ人を用いて懲らしめるとの答え。なぜ邪悪な異邦の民を懲らしめのむちに?と詰問。彼らもやがて滅ぼされるとの幻を受け、3章において、ハバククは信仰者の祈りと賛歌を持って締めくくります。やがてのユダの悩みの日、人身のみならず、確かに農作物にも牧畜にも大きな痛みを負う時が来る。17節の有様は全く絶望的。しかし、その時ハバククは、主にあって喜び勇み、救いの神にあって喜ぼうと歌います!まさに、信仰によって生きる義人の姿を、その身をもって証ししています。(2・4参照)。見えるものが現実か、見えないものが現実かと尋ねられて、
霊界が開かれる思いでした。見ゆるところがどうであれ、
永遠不変の神にあって喜ぶ信仰者に。

小野淳子著「神と共に歩む日々」より