平和の君 イザヤ書9:1-7

その名は「・・・・平和の君」と呼ばれる。(6節)

与えられたひとり子の名、すなわち特質のクライマックス(頂点)が「平和の君」です。一つには、このひとり子キリストご自身に内在される「神の平和」です。「わたしを遣わした方はわたしとともにおられます。わたしをひとり残されることはありません。わたしがいつも、そのみこころにかなうことを行うからです」(ヨハネ8・29)との証のごとく、父の臨在が主のたましいを平和で満たし続け、驚くべきことに、あの残虐非道な受難時の取り扱いの中も、その平和はみじんも破られなかったのでした!もう一つには、神との平和を回復してくださる唯一のお方ということです。「キリストこそ私たちの平和」(エペソ2・14)。神に背く私の身代わりに十字架に死に、とりなしてくださったキリストにあってのみ、神との平和に入れられ、さらに人々との平和な営みも可能となります。平和を作り出す神の子とさえされるのです。

神と共に歩む日々 小野淳子著