洗足 ヨハネ13:1ー20

「それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです」(14節)

明日は地上最後の日。十字架を前にしてのキリストの姿は「謙遜」でした。その誕生も謙遜そのもの。人としての生涯も謙遜。さらに謙遜を貫いての十字架でした。主は「わたしはあなたがたに模範を示した」(15節)と言われます。足を洗うという、当時ユダヤの風習では最も卑しいしもべの仕事です。人の足の汚れをきれいにする。それはまた、体の汚れとともに人の心の汚れ、そして、そこから出てくる醜い行いやことば、失敗などを共に担い、負い合う姿です。他人のせいにしたりせず、むしろ自分が被っていく姿です。言うは易く行うは難い、真の謙遜なくしてできないことです。

「真に謙遜な者は、自分が引っ込んだり、出過ぎたりせず、自分を全く主に任せてしまう」(米田豊師の講解)。神であられるお方がしもべのかたちをとってくださったキリストに任せて、初めてできることです。

神と共に歩む日々 小野淳子著