苦しみの祈り ルカ22:39-46

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」(42節)

私のためのサタンとの霊の戦い、それがゲツセマネのお祈りでした。罪人ですらその罪の呵責の苦しみは相当なもの、ましてや罪を知らないお方が罪を負う苦悩は到底測り知れません。血のしたたりのような汗の滴を流しての三度の祈り(マタイ26・44)に表われています。ついに「みこころを行うことを喜びと」(詩篇40・8)された方が、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1・29)としてご自分をささげる決断をされました。御使いの力づけ。主はただひとりで贖いをなしとげられます。苦しみの祈りは、みこころに従うという、心の深みに静かな天的な喜びを与える勝利の祈りとなりました。主は勝利者として十字架に向かわれました。みこころを知ることと、祈ることと、従うこととはそれぞれ別のことです。私の喜びもこれ以下ではないはずです。

神と共に歩む日々 小野淳子著