〈燃える蛇〉
「モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。」 民数記21章9節
「つぶやき、逆らい、試み、争い」、これがイスラエルの民の荒野生活のすべてでした。不信仰には滅びの刑罰以外ありません。主が送られた燃える蛇。かまれて死んだ多くの人々。民は罪を認めモーセにとりなしを求めます。主はモーセの祈りに応え、もう一つの燃える蛇を旗ざおの上につけよと命じました。「すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる」(8節)そしてまさに「もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。」キリストこそ、旗ざおの上に上げられた蛇が指し示すお方です(ヨハネ3・14、15参照)。罪の毒牙が身とたましいに及んでいるのを認め、十字架のキリストを仰げば生きるのです。「若者よ、仰ぎ見よ!」吹雪の中に立つ小さな教会堂の中で、一長老の十字架を指しながらの語りかけに、Ⅽ・H・スポルジョンは回心しました。
小野淳子著「神と共に歩む日々」より