<サムエル>  Ⅰサムエル記2:11-26

「サムエルはまだ若く、亜麻布のエボデを身にまとい、主の前に仕えていた。」(18節)

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「主の前で」罪を犯していた祭司エリの子らと、「主の前に」仕え、成長したサムエルが対象的です。神の人サムエルは、「主に仕え」(18節)、「主のみもとで成長した」(21節)、「主の前で育った」(同節、協会訳)のでした。母は子を、何の前に育てるでしょう。親の目の前、他人の目の前、世間世俗の目の前にでしょうか。親の欲の目の前に育てられた子は、たまったものではないでしょう。子に限らず、はたして私は何の前に仕え、成長しているでしょう。他人の目の前にでしょうか。人が真にその人らしく、また神の最高のご目的にかなって生きるためには、どうしても「主の前に」自らを置く必要があります。人が「主の前に」育てられる時、そこには実に、無限の可能性が秘められているのだと、ハット気つ‘‘かされました。自らのためにも、子ら、孫らのためにも、後進たちのためにも、共々に「主の前に」あらせていただきましょう。

小野淳子著 「神と共に歩む日々」より