<幸い> 詩篇1:1-6
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。(3節)
詩篇第一篇は百五十篇から成る詩篇全体の序であり基調とも言えます。「幸いなことよ」とは、人も羨むほどの幸せだと原語は語ります。消極的には一節、積極的には二節のみことばに従う人を指します。「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のよう」(2,3節)に、常にみずみずしく豊かに実を結ぶのです。「何をしても栄える」-神を信じる者の幸いと栄えは、外側ではなく内側であり、たましいの繁栄、霊的祝福です。しばしば悲しみ、苦しみ、涙、痛み、喪失、人間的にマイナスの出来事の中にたましいは栄えていくと、スポルジョンは解説します。みことばに渇き、朝昼夜口ずさみましょう。
小野淳子著 「神と共に歩む日々」より