<苦しみ> 詩篇119:65-72
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(71節)
詩篇中、また聖書全巻中でも最も長いところで、「いろは歌」風に八節ずつ、同じアルファベットの綴り文字で見事に始められている詩篇が119篇です。この一段はへブル語アルファベットの「テス」の部分で、「苦しみ」の教育的意義が67、71節で述べられています。多分にあの捕囚時代の悩み、苦しみを思い起こしてのことでしょう。
この原理は今も、神に愛され、神を愛する人々の内に働いています。苦しみは、自分の真相と限界のほどを悟らせ、神の支配にゆだねさせ、主のみことばを慕わせるものです。肉親の父が愛する子を訓練するように、主もその愛する者を懲らしめ、むち打たれ、訓練されます。「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」(へブル12・11)
小野淳子著 「神と共に歩む日々」より