永遠の父 イザヤ書9:1-7
<その名は「・・・・永遠の父・・・・」。>(6節)
「わたしを見た者は、父を見たのです」(ヨハネ14・9)と弟子のピリポに語られた主イエスが、神を「父」として紹介してくださり、そして、「わたしと父とは一つです」(同10:30)ともおつしゃいました。「永遠の父」とはー「イザヤという人はわざと、これをエード(ヘブル語言語)という言葉を使って、時々刻々の父、先程までお父さんであったけれども、今は違うということではないのです。いつでもどこでも、どんな時でも、どういう問題に関しても、このお方は信頼して来る者に対しても父でおいでになります」(『イザヤ書講解』)小林和夫著、日本ホーリネス教団出版局、148頁)。
主イエスは、この父の姿をルカの福音書15章11-32節に麗しくくっきりと描き出されます。放蕩息子を優しく迎え抱く父にとっては、息子が何をしたかよりも、存在そのものが尊くいとしいのです。私もこの時々刻々の父のいとし子として、時々刻々、父に愛と全き信頼を寄せ続けましょう。
小野淳子著 「神と共に歩む日々」より