<目を上げて> マルコ16:1‐8
ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。(4節)
時は、いのちに満ち満ちたよみがえりの春たけなわ。喜びのイースターを祝って、この四月は主イエスの復活と、信じる者への現実の恵みをたっぷりと味わいます。主が葬られて三日目の朝早く、墓の様子をしかと見届けていた女たちの心配は、墓の入口の大石をころがしてくれる人がだれかいるかということでした。ところが、女たちが墓に近つ“き、目を上げて見ると、どうでしょう!あれほどにも大きな石だったというのに、その日はすでにころがしてありました。いかにも主の復活の朝にふさわしい出来事ではありませんか。主を愛してやまない者たちのために、神様ご自身が先回りして働いて下さいます。何も心配することはないのです。信仰の目を上げて見る時、あらゆる困難と不安の大石は神の御手によりころがされて、道が開かれるに違いありません。上を仰ぎましょう。
小野淳子著 「神と共に歩む日々」より