主の宮 Ⅰ列王記8:22-30

「それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。」(27節)

「栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした」(マタイ6・29)と、主イエスが語られるほど、花の純粋な生気に満ちた美にはかないませんが、確かにソロモンの建てた神殿は、人としての栄華の極みと言えるほどのものだったでしょう。ところが今、ソロモンは神の箱をおさめ、臨在の雲が満ち、主の栄光みなぎる中で祈ります。「それにしても」、ソロモンの祈りと驚きはまた、私たちのものでもあります。「実に、天も、天の天も」「視よ天も諸の天の天も」(文語訳)神をお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。まして、私のこの小さく卑しい心など、なおさらのことです。まさに奥義です。

小野淳子著 「神と共に歩む日々」より