父と子 ルカ15:11-24
「『この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。」(24節)
放蕩息子のたとえ話であるとともに、この息子を赦して迎え入れた父の愛のたとえ話とも言えます。父の存命中の財産分配、父に背を向け遠国へ旅立ち、放蕩、無一文、そして飢餓、その当時最も卑しめられていた豚の世話、食べることに窮し、死と対面して我に返りました。「本心にたちかえって」(17節、協会訳)、自分の行いの愚かさを悔い、父のもとへ。いったいどんな顔を父に見せられるだろう・・・・。しかし父は、遠くから彼を認め、かわいそうに思って走り寄り、彼を抱き、「何度も何度も口づけした」(新改訳脚注より)のでした!息子の悔い改めのことばもそこそこに、大喜びに迎え、祝宴を始めました。神の愛とはこういう無限無量の赦しの愛だとキリストは紹介します。今、私はこの父の愛に背を向けている?それとも父なる神の腕に抱かれている?真の満足といのちは、父のもとにのみあります。
小野淳子著 「神と共に歩む日々」より