《Ⅱ列王記4:8-10》 女は夫に言った。「いつも私たちのところに立ち寄って行かれるあの方は、きっと神の聖なる方に違いありません。」(9節)
「キリストはわが家の主 食卓の見えざる賓客 あらゆる会話の沈黙せる傾聴者」との壁掛けのことばを思い起こさせるようなエリシャの食卓ではなかったでしょうか。ただ通りかかっていただけのエリシャに声をかけて、引き止め、食事を提供したこのシュネムの裕福な婦人も、たましいの、霊の眼が開かれていたと言えます。そして、食事といえば、人が最もくつろぐ場であり、口を開くとともに胸襟をも開くところでありながらも、「きっと神の聖なる方に違いありません」との証しが婦人の口をついて出てきました。さらに、エリシャのためにいつでも使える祈りの部屋さえ備えられました。存在そのものが、聖なる神を思わせる人の幸い。そういう神の人を尊び重んじて、祈りの場を備える人の幸いをも思います。聖なる神を信じ仕える私たちの道は、どこまでも昇り行き続ける道のようです。
神と共に歩む日々 小野淳子著