ザアカイ ルカ19:1-10
「人の子は、失われた人を探して救うために来たのです。」(10節)
「背が低い」という劣等感がバネになって得た取税人のかしらと金持ちの座は、寂しく空しいものであったに違いありません。そんなザアカイ(日本名で言えば「清」とか「正」と名づけられた人)に、生涯の転機が訪れました。うわさに高いキリストとの出会いでした。罪人、失われた人を捜し救うために来られたキリストがいちじく桑の木の上にいるザアカイを招き、ザアカイは大喜びで自分の家に、さらには自分の心にキリストを迎え入れたのです。そしてみごとに悔い改めの実を結びました。
人が持っている劣等感の対象、それはさまざまですが、決して恥ずかしいものではありません。むしろ神から離れて罪を持ったままでいることこそ、神の前に、人の前に恥ずべきことです。キリストと真正面に向かい合ってこそ、人は初めて自分の姿を見つめることができ、罪を離れて、神とともに歩む、豊かないのちと満足を与えられるのです。
神と共に歩む日々 小野淳子著