梅雨に入りました。2020.6/14㈰
≪今週のみ言葉≫
「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。使徒行伝3章6節
説教題:『わたしにあるものをあげよう』
聖 書:使徒3章1~10節
ここはペンテコステに続く神のいやしの聖書にしるされた最初の奇跡であり、その健全な道徳的霊的結果によって十分にその真実さが証明されています。使徒たちのうちにやどり、彼らを通して働く聖霊によるペンテコステの力(使徒1・8)の大いなる証しです。
Ⅰ.祈りの力(1)
彼らは宮におけるユダヤ人の祈りの時と言われている、1日3度の祈りを遵守していました。(2・42、46)。つまり「第三の時」朝9時頃と「第六の時」(10・9)、正午頃と「第九の時」(3・1、10・3)午後3時頃でした。祈りは使徒時代の教会の大切な特権であり、主要な仕事(6・4)であり、多くの力ある奇跡と勝利の原因となるものでした。(12・3~7)。祈りの習慣と約束は常にクリスチャンの勝利の秘訣です(ダニエル6・10)。祈り無き教会は力なき教会です。祈る教会は無敵の教会です。このいやしの奇跡はこれらの御霊に満たされたクリスチャンの同胞の使徒たちの一致した祈りから出た結果でした。
Ⅱ.ペンテコステの力―著しい奇跡(2~8)
4・22を見ればこの「生まれながら足のきかない男」(1)は「40歳あまりの人」でしたから、長い間わずらい、何にも役に立たない者でした。歩くことも働くことも神殿に入ることもできませんでした。「神はこの役に立たない死んだようなものを用いてエルサレムを動かされました」(B・F・バックストン師)。彼がかかえられてきて置かれたところは「美しの門」と呼ばれる宮の門でした。何という対照!
1)対照―この門はニカノルの門と言われるコリント風の真鍮でできていました。高さ50キュビト(22.5m)、その扉は40キュビト(18m)、分厚い金銀の板がそこに張られていました。惨めな物乞いのこの男はそうしたところに置かれていたのでした。
2)信仰―ペテロとヨハネとは彼をじっと見て「わたしたちを見なさい」と言った。この男が、期待をもって使徒たちを見つめた時、御霊に満ちた使徒たちの顔からは、生ける神との交わりから生まれる確信と信仰が輝いていたのでした。信仰は伝染します。クリスチャンが信仰を持つと不信者の世界に信仰を生み出すものです。そして祈りはそのような聖霊のあらわれを生み出すのです。「金銀はわたしには無い」(6)とペテロはあのニカノルの門に張り付けられた分厚い金銀の板を見ながら叫んだのでしょう。「しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエスの名によって歩きなさい」ペテロの差し出された手に支えられて、この足の悪い男は、直ちに立ち上がり、歩き出したのでした!神の癒しの力が彼の全身を完全に生き返らせました!今も生きておられるイエス・キリストの御名に能力があり、信じる者に働くのです(16節)。ハレルヤ!
<お知らせ>
▷「そろそろ礼拝を始められてもいいんじゃないですか?」教会のお向かいのご主人がそう、先週の日曜日の午後、私に声をかけられ、共におられたご夫人も「ああ、今日もなくてさびしいでした」とおっしゃって下さいました!本当に大きな励ましに、私は思わず「ありがとうございます!」を繰り返しました。「人数も多いし慎重にしてます。7月からは出来ると思います」と話しつつ、心の内は喜びに溢れました。
▷西日本豪雨からまもなく二年です。今年は願わくは優しい梅雨でありますように祈ります。