7月最終礼拝でした。2020.7/26(日)

≪今週のみ言葉≫

「アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた」。創世記15章6節

説教題:『信じる祝福』 聖 書:創世記15章1~16節

いま世界は、「新型コロナウイルス」により、様々に揺さぶられ、日本は梅雨や「令和2年7月豪雨」で、大変な中にあります。今日の聖書の場面の中では、アブラムは14章で甥のロトの救出のために全力を尽くしての戦いをし、周囲の王たちからの報復に恐れを覚えていたことでしょう。しかし、15章1~6節までの神とアブラムとの対話の場面はまことに雄大で、信仰の世界の雄大さを覚えさせられます。

Ⅰ.約束を信じる祝福 

 「アブラムよ、恐れてはならない、わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いははなはだ大きいであろう」(1) 王たちからの報復を恐れるアブラムへの何と力強い主のお言葉だったことでしょう。その神にむかって、アブラムは不服めいたことを言います。「子どものない私に一体何をくださろうとするのですか。しもべがあとつぎとなるでしょう」と。即座に驚くべき主の言葉がアブラムに臨みました。「あなたの身から出るものがあとつぎとなるべきです」と!「そして主は彼を外に連れ出して言われた、『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい』。また彼に言われた、『あなたの子孫はあのようになるでしょう』」。(5) 岡山の田舎の満天の星を思い出しますが、ここユダヤの地のその時の星も、まさに数えきれない程の星がきらめいていたことでしょう!「アブラムは主を信じた」(6)とあります。み言葉=(イコール)主のご人格です。主とその約束をアブラムは信じたのでした。ここで初めて≪信じる≫という偉大な言葉が聖書に出てきます。アブラムは夜空に輝く無数の星を仰ぎながら思ったのでしょう。「そうか。主はこれらのすべての星一つ一つを何もないところから造られたお方だ。一人の子どもではおさまらず、あの星のように私の子孫を与えて下さるに違いない」と。神がこのようにしてアブラムの「信仰」を助け、確かなものにされました。

Ⅱ.義とされる祝福

「アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた」(6)。神がアブラムが信じたことを義と認めて下さいました。すなわち神との正しい関係にいるよと認めて下さったのでした。神が「よし!」と言って下さったということでした。ここに『信仰義認』の源泉をみることができます。人が神の前に義とされる道は、唯一、「信仰による」ということです。ハバクク2章4節「見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし義人は信仰によって生きる」。このみ言葉が、新約聖書に3回引用されています。ローマ1・17、ガラテヤ3・11、ヘブル10・38.全知全能愛なる神に「義とされる唯一の道」それが、「信仰」であり、いま私たちは「この神からの義」をただイエス・キリストの十字架と復活を信じる信仰によってのみ受けることができるのです。祝福の道を歩み続けましょう。

<お知らせ>

▷今週金曜日で7月を終り、早くも土曜日から8月に入ります。「今月のメッセージ」「8月のお祈り」「ヘッダー(ひまわり)」が更新されます。

▷新型コロナウイルスの終息への道のりは遠いようです。自分のためにも、他者のためにも、マスク、消毒を心がけ感染から守られましょう。

▷7/5(日)から礼拝を再開して、1時間の礼拝を子どもたちも共に守っています。願わくは、継続できますようにと祈っています。御加祷下さい。

▷オンラインでの「つながり」は「会う」こととは違う。早く人々が自由に移動できるようになり、失われた幸福な瞬間が世界中に戻ってくる日を待ちながら。ーJAF Mate 2020/8,9より