10月最終礼拝でした。2020.10/25(日)
≪今週のみ言葉≫
「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」マルコ9章23節
説教題:『信じて祈る力』 聖 書:マルコ9章14~29節
10/20㈫、21㈬、22㈭の3日間、第54回教団牧師研修会がZOOM (ズーム)にて行われました。コロナ渦中なかなかお会いできない先生方に、画面を通してですが、また30名ばかりの限られた先生方ですが、お会いできました。時代の機器を用いてできることで一面驚きであり、感謝ですが、改めて霊界の不思議を素晴らしさを思います。神様との交わり(祈り)には何の道具もいらない、いつでもどこでもできる、又キリストが拓(ひら)いて下さった恵みのみ座にてとりなし、祈り、人々とも交われることは何という恵みの世界でしょうか!本日の箇所は、私たちの信仰と祈りへのチャレンジ(挑戦)です。
Ⅰ、イエスと弟子たち<不信仰>(14~19) 「山上の栄光と山麓の悲惨」と言われるところです。変貌山で神の子の栄光を現されたイエスとそれを目撃したペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子たちが、山を降って他の弟子たちの所に戻ると、大勢の群集がその弟子たちを囲み、律法学者たちが彼らと論じ合っていました。「何を論じ合っているのか」とのイエス様の問いに対して一人の人が答えました。「先生、口をきけなくする霊につかれた私の息子をあなたのところに連れて来ました」と言って、その霊のなす災いがあまりにひどいので、「それであなたのお弟子たちに霊を追い出してくださいとお願いしたのですが、出来ませんでした。」(17、18)イエス様は「ああ、不信仰な時代だ、」(19)と大いに嘆かれました。それは特に弟子たちの不信仰を嘆いたものでした。(マタイ17・20)マルコ6・7には「また十二人を呼び、二人ずつ遣わし始めて彼らにも汚れた霊を制する権威をお授けになった。」とありますから、かつては出来ていたことも、この時は出来なくなっていたということです。その原因は不信仰と祈りの欠如にあったのでした。
Ⅱ.イエスと父親<信仰の祈り>(20~23) 「その子を私のところに連れて来なさい。」(19)これこそイエス様からの黄金の招きの言葉であり、解決の最大の手段です。<私たちはほかのどんな方法が役に立たなくても、いつもキリストのもとに行くことができるのである>(『牧羊者』P.37)。その子がイエス様のもとに連れて来られると霊はイエス様を見てすぐに彼にひきつけを起こさせたので、彼は地面に倒れ泡を吹きながら転げ回りました。イエス様は、「いつからこうなのか?」と父親に尋ねると、「幼い時からです。」と答え、「おできになるなら、私たちをあわれんでお助けください」(22)とお願いしたのでした。するとイエスさまはすぐに「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」(23)と言われました。<解決の鍵は信じることができるかどうかにある。この素早い切り返しは父親に信仰のチャレンジを与えた>(『牧羊者』P.38)するとすぐに父親は叫んで言いました。「信じます。不信仰な私をお助け下さい」。(24)彼は、不信仰な自らを認め、神に絶対の信頼を置く信仰へと引き上げられたのでした。「口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊。わたしはおまえに命じる。この子から出ていけ。二度とこの子に入るな」(25)とのイエス様の命令により、霊は叫び声をあげ、出ていきました。ひきつけさせられて死んだようになったその子の手をイエス様が取って起こされると、その子は立ち上がりました。今日、私の信仰は、私の祈りは、神への全き信頼と渇きは、救霊への熱情はいかがでしょう?
<お知らせ>
▷10月最終聖日でした。10月の月も「新しい教会生活スタイル」で共に集っての礼拝をおささげできましたことを、主と、祈って下さった方々に心より感謝いたします。
▷早くも次聖日から11月に入ります。「今月のメッセージ」「11月のお祈り」「ヘッダー(スイートコーン)」が更新されます。
▷よい実りの秋をすごせますように。魂の収穫のためにもお祈り頂ければ感謝です。