2020年もあと2カ月となりました。 2020.11/1(日)
≪今週のみ言葉≫
「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」 マルコ10章15節
説教題:『子供を祝福する神』 聖 書:マルコ10章13~16節
今年は例年のような「子ども祝福礼拝とカーニバル」はできませんが、11/29㈰第一アドベント礼拝にて「アドベント・プレゼントと祝福のお祈り」の時を持つことにしています。今日の聖書の箇所は、子どもを愛し、祝福されるイエス様が、「大人に対して、神の国に入るためになくてならない態度を教えるためのもの」です。(『牧羊者』p.43)
Ⅰ.弟子たちと子どもたち<13> イエス様の最終のご奉仕の場であるユダヤ宣教に入れられた時のことでした。「イエスに触れていただこうと、人々が子どもたちを連れて来た」(13)のでした。当時、子どもの死亡率が高く、ユダヤでは16才までに10人のうち6人が死ぬという状況だったようです。律法学者や長老たちに祈ってもらうこともよくしていたようです。子どもたちを連れて来た人々とは、きっとお母さん方だったのでしょう。イエス様の人気も知った上で、イエス様のところに喜んで連れて来たに違いありません。「ところが弟子たちは彼らを叱った」(13)のでした!口語訳では「たしなめた」とあります。「イエス様はねぇ、お忙しいお働きで疲れておられるのだから」と、怒りの感情を持って非難したのでした。イエス様への配慮もあったとはいえ、弟子たちにとって子どもたちの存在は重要ではなかったと言えます。実は、その事はイエス様を憤らせました。9章37節にはイエス様は、子どもたちが神の国において特別な存在だとすでに教えておられました。
Ⅱ.イエス様と子どもたち<14~16> 「子どもたちを、私のところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れるものでなければ、決してそこに入ることはできません。」(14,15)とイエス様は言われて、「子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。」(16)のでした。「イエスに触れていただこうと」(13)ということは、マタイ19・13では「イエスに手を置いて祈っていただくために」と記されています。人々の祈り、願い通りにイエス様はして下さいました。すなわち、「腕の中に抱き」、そしてそれは「永遠の腕」(申命記33・27)であり、牧者がその腕に小羊を抱き携え行き導かれるように祝福をして下さったのでした。「まことにあなたがたに言います。」(15)<イエスは十字架にかかることにより、救いのわざを完成させる時が近づいていることを意識され、厳粛に、神の国に入るのはどのような者であるかを語られた>(『牧羊者』p.44) ≪子どものように≫とは、childish(子どもじみた、幼稚な)ではなく、childlikeであって、自分は無きに等しい者、誇るものは何もない、ゆえに素直に単純に絶対的に神に信頼するものとの意味です。私たちも神の国を受け入れ、必ずや入れて頂く、子どものような信仰者でありましょう。
<お知らせ>
▷ 昨日10/31(土)は、宗教改革503周年記念日でした。「正しい人はその信仰によって生きる。」(ハバクク2章4節)
▷「今月のメッセージ」「今月のお祈り」「ヘッダー(スイートコーン)」が更新されています。お祈りを感謝致します。
▷11月の月も「新しい教会生活スタイルを続行できますことを主に感謝致します。」