読書の秋―読む人は育つ人 2020.11/8(日)

≪今週のみ言葉≫

説教題:『仕える祝福』  聖 書:マルコ10章35~45節

   「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分の命を与えるために来たのです。」 マルコ10章45節

 新型コロナウイルスが世界中に拡大し、なお不透明な中にあります。そして今、米大統領選挙も世界中から注目の的です。様々に考えさせられます。今日のイエス様と弟子たちのコントラスト(対照)にも通じるものがあるように思えてなりません。ペテロが「あなたはキリストです」(マルコ8・30)との重大な告白をした後第一回目の受難の予告をされました(同31)。第二回目は9・31、そして今日の記事の直前10・33,34が第3回目の受難予告です。弟子たちの誰一人そのことを理解している者はいませんでした。

 Ⅰ.弟子たちの願い(35~41) 「ゼベダイの息子たち、ヤコブとヨハネがイエスのところに来て言った」(35)とあります。マタイ20・20ではわざわざ母親が同伴していたことがわかります。彼らの願いとは「あなたが栄光をお受けになるとき、一人があなたの右に、もう一人が左に座るようにしてください」(37)との願いでした。右は王座の次席、権威の第二位。左は第三位です。イエスは言われました。「あなたがたは、自分が何を求めているのかわかっていません。わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができますか。」と。彼らは「できます」と悟りなく答えましたが、イエス様は「確かに」(39)とおっしゃって、ヤコブは12弟子の中で一番に殉教すること(使徒12・1)、ヨハネは晩年パトモス島に流される(黙示1・9)ことを知っておられたので、そう言われました。しかし、左右に誰が座るかは私が許すことではありませんと。「ほかの十人はこれを聞いて、ヤコブとヨハネに腹を立て始めた」(41)とあり、12人が12人とも自己本位であったことが暴かれます。

 Ⅱ.イエスの願い(42~45) 弟子たちは実に世の価値観の中にどっぷりつかっている存在だったということです(42)。しかし、神の国の価値観は、全くこの世のそれとは逆であるのです。「偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者に」「(43)、「先頭に立ちたいと思う者は、皆のしんがりになりなさい」(44)とイエスは言われ、ご自分が世につかわされた有様とその使命を語られます。「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分の命を与えるために来たのです。」(45)ヨハネは、十字架にかけられる前夜のしもべとしてのイエスを記しました(ヨハネ13・1~15)「洗足の主」です。パウロは、イエスの徹底した謙遜と従順のお姿を記しました。(ピリピ2・6~8)。そして教会にしたためた手紙には、「キリスト・イエスのしもべ」(ローマ1・1、ピリピ1・1)。また「キリスト・イエスの囚人パウロ」(ピレモン1)と自らを証ししました。お互いも贖われた主の「しもべ」として、神と教会と人々に仕える幸いな地上の生涯とされましょう。

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