「成人」となられる皆様おめでとうございます!2021.1/10(日)

《今週・今年のみ言葉》

「いつも喜んでいなさい。」テサロニケ人への手紙第一5章16節

説教題:『いつも喜ぼう!』

聖 書:テサロニケ人への手紙第Ⅰ  5章16、17、18節

主の2021年、わたしたちの教会に与えられている新約のみ言葉です。以下の解説を読むなら、3回に分けて語るのは無理があるように思われるのですが、かといって1回で語るのも惜しまれて、3回に亘って味わうことに致します。

▷「常時喜悦・不断祈祷・万事感謝」—6人(8人のうちの)の子どもを召され、13年間病妻を看病中、与えられた標語―(米田豊師)

▷詩篇には、イスラエルの民の喜びと感謝の賛美が多くみられる。神の民のしるしは、喜びに満ち、感謝にあふれていることであった。クリスチャンは神の民として、このような特質を豊かに持つ者たちである。この喜びと感謝は、祈りと密接に結びつけらえている。この箇所においても、喜びと感謝の勧めの間に「絶えず祈りなさい」(17)とあるのは非常に意義深い。(新聖書講解シリーズ⑨木下奉子師)

▷テサロニケ人への手紙第一5・16~18はきよめられたクリスチャン像である。(J・ウエスレー)

▷「純真な教会の三つのしるし」(W・バークレー聖書註解シリーズ⑪)

(一)それは喜びの教会である。教会には教会員にちょうど日光を浴びているように感じさせる喜びの雰囲気がある。真のキリスト教は、心を喜び立たせるものであって、意気消沈させるものではない。

Ⅰ.人(生まれつきの人、肉なる人)の喜び

与えられることを喜ぶ、願いが叶うことを喜ぶ、様々な欲が満たされることを喜ぶ、確かにそうした喜びも神がゆるされて与えられるものですが、これらは一時的で、真に魂を満たすものではありません。それらが喜びのすべてだと、ごまかされてはいけません。キリストに出会うまでは誰しも、その程度の喜びしか味わうことができません。ですから「いつも喜ぶ」ことはできないのです。

Ⅱ.キリストの喜び・キリストにある者の喜び

「わが神よ、わたしはあなたのみこころを行うことを喜びとします。あなたのみおしえは私の心のうちにあります。」(詩篇40・8)「この方は主を恐れることを喜びとし、」(イザヤ11・3)「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。」(イザヤ53・11)これらは、メシヤなるキリストを預言するみ言葉であり、キリストの喜びが何であったかを語ります。父なる神のみこころを行うこと、それに従うこと、どのような犠牲を払ってでもそうすることが喜びでした。このキリストを信じて内に宿すクリスチャンも、キリストの喜びに生かされる者たちです。ローマ5・1~5,11には驚くべき喜びが記されています。「今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば取るに足りないと私は考えます。」(ローマ8・18)究極的に「永遠の神の御国の栄光」に入れられる望みを抱くクリスチャンは、ですから「いつも喜んで」いることができるのです。ハレルヤ!

<お知らせ>

▷明日(1/11・月祝)の「成人も日」を前にしての第2聖日には「青年祝福礼拝」を行ってきましたが、昨年末のコロナ禍中で一時間の礼拝となりました。

▷が、やがて「成人の日」を迎えようとしている、「高校生、中学生、小学生、幼児」たちのために神の祝福を祈ります。この頃は「ハーフ成人」という言葉もあり、当教会にも何人かいます!幼い子どもたちや若い魂が素直に救い主イエス様を信じて、洗礼を受け神の家族にさらに加えられていきますよう祈ります!