父の日聖日でした。 2021.6/20(日)

≪今週のみ言葉≫

「天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。」マタイの福音書7章11節

説教題:天の父への祈り』   聖 書:マタイの福音書7章7~12節

 『父の日の由来』1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd)が、男手一つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして、父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われています。最初の父の日の祝典はその翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われ、1966年アメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンが6月の第3日曜日を父の日に定めました。というわけで、本日は肉親の父への感謝を表すと共に『天の父』を知り、心から崇め感謝し、改めて祈りに祈って良いものを頂きましょうというメッセージです。

Ⅰ.求めない先から。 私たちの命と日々の生活を思う時、「あなたには、何か、人からもらわなかったものがあるのですか。」(コリント人への手紙第一4・7)のみことばのように、すべてがもらったもの、頂いたものであることに気が付きます。しかも最も大切なものは、お金で買えない重みのあるものです。命そのもの、大気、空気、日光、雨風etc.です。それらは皆、愛なる父なる神が愛の対象として創造して下さった人類への贈り物です。「あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。」(マタイ6・32)「私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませて下さる神」(テモテ第一6・17)からのまさに優れた賜物以外の何ものでもありません。

Ⅱ.求め続けなさい。 父なる神は、そのような中にも、さらなる祝福を注ぎたいと招かれます。「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイ7・7)と。肉親の父親でも自分の子がパンを求めているのに石を与えたり、魚を求めているのに蛇を与えたりはしないでしょう。卵を求めているのにサソリを与えたりもしないでしょう。(ルカ11・11,12)。「このようにあなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。」(マタイ7・11)いえ、絶対にありません。良いものを与えてくださいます。この「良いもの」をルカははっきりと「聖霊」(ルカ11・13)と記しています。「神は良いものだけをお与えになるお方であり、神がお与えになるものは、いつも決まって最善のものです。」「神は私たちをこの上なく愛しておられるので、正しく歩む者に有用有益なものを下さるのです。神は私たちに最善なものが何であるかをご存じですから、その最善のものを与えてくださいます。」(『牧羊者』p.82) そして、この三つの命令はすべて現在形で、「求め続けなさい。探し続けなさい。たたき続けなさい。」との力強いお招きです。継続はまさに「力」そして「祝福」を!

<お知らせ>

▷「母の日」「花の日」そして「父の日」という麗しい行事が教会から、クリスチャンから始められたことに神様を心より崇める者です。

▷願わくは今週と来週とで自宅礼拝を終了でき、7月からまた新たな思いをもって、共に会っての感謝な礼拝をと祈り求めています。お祈り下さい。