共に集っての礼拝を主に感謝します!2021.7/11(日)

≪今週のみことば≫

「わたしが世にいる間は、わたしが世の光です。」ヨハネの福音書9章5節

説教題:『心の目が開かれる   聖 書:ヨハネの福音書9章1~11節

7/11㈰、本日から8/8㈰までの5聖日のテキストは、‘GREAT I AM’シリーズです。すなわち、イエス・キリストが、「わたしは~である」と宣言されています。モーセに神がご自分を『わたしはある』(I AM)と紹介されました。(出エジプト記3:14)キリストご自身も、I AMと言われる神ご自身であるとの証しです。そこで、本日の聖句は‘I am the light of the world’(わたしが世の光です)となるのです。

Ⅰ.視力を与える光(1~7) 「生まれた時から目の見えない人」(1)その人にとっては、どんなにか大きな苦しみ、悲しみ、痛み、悩みのタネであり、「どうして?!」との思いにしばしば押しつぶされることも多かったことでしょう。イエスは「通りすがりに」この人を「ご覧になった」(11)のでした。心にかけて立ち止まられたのでしょう。そのイエスに弟子たちは尋ねました。「先生。この人が盲目で生まれたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」(2) この時の弟子たちに限らず、古今東西、こうした「因果応報論」はまかり通っているものです。ところがイエスの答えは「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現われるためです。」(3)との驚くべき答えでした。しかも目に光のない人を前に、「わたしが世の光です。」とおっしゃって、不思議なことをされました。地面に唾をして、それで泥を作られ、その泥を彼の目に塗って言われました。「行って、シロアム(訳すと、遣わされた者)の池で洗いなさい」と。「そこで、彼は行って洗った。すると、見えるようになり、帰って行った。」(7)のでした!生まれつき視力のない人の眼に光なるイエス・キリストが視力を与えるという奇跡をなさったのでした。お言葉への従順が鍵でした。 Ⅱ.霊力を与える光(8~38) しかも肉眼の視力だけではありません。この人の霊の眼も開かれて行きました。周囲の人々や、パリサイ人たちの心の眼は、全く開かれてはいませんでした。その奇跡が安息日に行われた(14)とのことで、イエスを罪人呼ばわりするのでした。しかし、眼の開かれた人は言います。「あの方は預言者です」と(17)。ユダヤ人たちはさらには彼の両親を呼び出して、「どうして今は見えるのか」(19)と問いただしますが、両親はユダヤ人たちを恐れて、本人に話させようとします。しつこく同じことを問い続けるユダヤ人たちに、彼は「あの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできなかったはずです」(33)と言い、ついに外に追い出されました。すなわち交わりから追放されたのでした。しかし、主イエスは彼を見つけ出し、語られ、最終的には彼は、完全に霊の眼が開かれて「主よ、信じます」と言って、イエスを礼拝した(38)のでした。【証し】母教会のT姉妹は、生まれて間もなく高熱のため、小児麻痺の不自由な身体になられました。学校にも行けず、6人兄弟の真ん中の私だけどうして!?と悩む中、路傍案内の声に妹さんにおぶってもらって教会の礼拝に。牧師夫人が開いて下さったこのヨハネ9・3「この人に神のわざが現われるためです」とのみ言葉で、心に光が射しました。両親や兄弟たちを恨んだりしていた醜い罪を悔い改め、キリストの救いに与られました。20才まで生きられるか?と言われた人が、今なお77才となって、主の証人として生かされておられます。詩篇119篇18、130節 心の眼の開かれた者として生かされましょう。

<お知らせ>

▷7/4(日)先週は1か月ぶりに集っての喜びの礼拝でした。主に感謝します!この形で継続できますように!

▷1年3か月ぶりの教会学校も感謝でした!9:40~10:00「お話」中心です。献金、頌栄、祝祷は一般礼拝に合流の形です。こちらも継続できますように!

▷梅雨の終盤になり、熱海を初め、各地に土石流などの被害が出て祈っています。災害が最小限にとどめられますように~。