教団70周年記念の週です。2021.7/18(日)

≪今週のみ言葉≫

「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。」

ヨハネの福音書10章11節

説教題:『良い羊飼いイエス様』   聖 書:ヨハネの福音書10章1~15節

‘GREAT I AM’シリーズその2です。「私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。」(イザヤ53・6)にある如く、神から離れた人を「迷える羊」にたとえ、「失われた者」と主イエスは語られました。(ルカ15・4)それと共に「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」(ルカ19・10)と言われました。

Ⅰ.「良い牧者」宣言(ヨハネ10・1~15) 

‘I am the good shepherd’

①羊のことを良く知っている(3,14)。 一匹一匹の特徴と性質を良く知った上で、それぞれ名を呼んで連れだし、養い導いて下さいます。

②羊の門となる(7)。夜になると羊たちは囲いの中に入ります。しかし、その門には扉がありません。夜中に羊を狙って猛獣や盗人がやって来ますから、その門のところに羊飼いが身を横たえて彼自身が門となって番をします。ですから良い牧者は体を張って羊を守るのです。

③羊たちのために命を捨てる(11,15)。羊を守る牧者自身が時に命を落とすこともありました。羊たちが自分のものでない雇人は猛獣が来ると羊たちを置いて逃げ去ります。しかし良い牧者である主イエスは、私たちをご自分の羊として扱って下さり、十字架に命を投げ出して下さいました。それは一時的な危険からの救い以上に永遠の滅びからの完全な永遠の救いのためでした。それと共にこの地上で「いのちを得るため、それも豊かに得るため」(10)でした。その「いのち」を味わい知った羊飼いダビデによる詩篇23篇1~2節を味わいましょう。

Ⅱ.「主の羊」宣言(詩篇23・1~2)‘The LORD is my shepherd; I shall not want.’「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ いこいのみぎわに伴われます。」(1,2) 「私は乏しいことがありません」(1)を脚注では別訳「失われていません」と記されています。以下は『羊飼いが見た詩篇23篇』(W.フィリップ・ケラー著)よりの抜粋です。「主は私を緑の牧場に伏させ」(1)のみ。「羊は次のような四つの条件が満たされない限り、横になって伏すようにさせることは殆ど不可能である。」

①臆病なために、恐れが全然ない状況でない限り横になろうとしない。②群の中での「社会的行動」のために、仲間の誰とも摩擦が無い状態でないと横にならない。③ハエや寄生虫に苦しめられているなら羊は横にならない。④羊は食物を求める必要があることを感じている限り横にならない。~こういう心配がない状態を備えることができるのは、羊飼い自身だけであるという点が重大である。人々についても同じことである。キリスト者としての生活の中で、私の牧者がすぐそばにおられることをはっきり意識することにまさる恵みはない。(p.39~42)。良い牧者なるお方の絶え間ないいのちを注いでのケアが心に沁みます。

<お知らせ>

▷7/18~20は、日本イエス・キリスト教団「創立総会記念日」です。1951年神戸中央教会に21教会が集って教団が創立され今年で70周年を迎えました。おめでとうございます!初代委員長は小島伊助師、祈られて上から与えられたみことばが、出エジプト記33・14でした。「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。」主の臨在信仰により教団70年の歴史が刻まれてきました。ハレルヤ!

▷かえるクラブは夏休みに入りますが、毎週日曜日の教会学校に集う子どもたちが与えられるようお祈り下さい。