第Ⅲ回目、第5週目の自宅礼拝でした。2021.9.19(日)

≪今週のみことば≫

「蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると生きた。」民数記21章9節

説教題:『仰ぎ見て生きる』      聖 書:民数記21章4~9節

本日をもって旧約聖書 荒野の指導者モーセとの旅を終り、次週から10月いっぱいは新約聖書で「キリストとの出会い」シリーズになります。本日のテキストは、まことに良い橋渡しとなっています。

Ⅰ.青銅の蛇を仰ぎ見て生きる(本日のテキスト)

 荒野の旅の中で、イスラエルは何度も食べ物について不平を言ってきました。(出エジプト記16章、民数記11章)。ここはイスラエルの民が食物について不平を言い、エジプトの食物にあこがれた最後の記録です。ホル山から紅海の道に向かう途中「しかし民は、途中で我慢ができなくなり、神とモーセに逆らって言った。」(4,5)のでした。なぜ自分たちを「この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。われわれはこのみじめな食べ物に「飽き飽きしている。」(5)と不平をぶちまけました。荒野で奇跡的に養われた天からのパン、「マナ」を「このみじめな食べ物」と言い、「飽き飽きしている。」とまで言いました!当然主の激しい怒りにより、主は民の中に燃える蛇を送られました。かまれると猛毒のために、民の多くがバタバタと死んでいきました。民は慌てて悔い改め、モーセに「どうか、蛇を私たちからとり去って下さるよう主に祈って下さい。」(7)と懇願し、モーセは祈りました。主の答えは、民の要求よりも勝る答えでした。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。かまれた者は皆、それを仰ぎ見れば生きる。」(8)モーセは言われたとおり、一つの青銅の蛇を作り、旗ざおの上に付けました。「蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると生きた。」のでした!!仰ぎ見る、それは信じて従う行為でした。青銅の蛇に力があるのでなく、神のみ言葉を信じて従うところに命を得る道があるのです。

Ⅱ.十字架上のイエスを仰ぎ見て生きる(ヨハネ3・14~16) 夜、イエスのもとをたずねてきたニコデモに語られたみ言葉です。「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」そして聖書中の聖書、ヨハネ3・16が続きます。「神は、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 この青銅の蛇は、イエス・キリストの型です。青銅の蛇が上げられたように、イエスは罪を象徴する蛇として十字架にかかって下さいました。罪なき神の子イエスが、罪とされ、私たちのためにのろいとなってくださいました(ガラテヤ3・13)。 信じてこの十字架を仰ぎ見るだけで、すべての罪・のろいは赦され、取り除かれ、救われて、永遠に生きることができるのです。ハレルヤ!

<お知らせ>▷さすがに自宅礼拝も一カ月を超えると寂しさを覚えます。あと1回で終り、10/3(日)より再開できるよう、祈っています。ご加祈下さい。

▷10/3(日)は、10:15~11:30、「教会創立72周年記念聖餐式礼拝」です。喜びの礼拝再開、創立記念礼拝、聖餐式礼拝となりますよう、お祈り下さい。

▷同時に、教会学校、木曜かえるクラブも再開できますよう、信じて祈っています!