教会創立72周年記念聖餐式礼拝でした。2021/10/3(日)
≪今週のみ言葉≫
「しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。」
ルカの福音書10章42節
説教題:『なくてならないこと』 聖 書:ルカの福音書10章38~42節
6回の自宅礼拝を終えて、記念すべき創立72周年記念聖餐式礼拝に共に集うことができ大きな感謝と喜びの日です。霊の戦いの毎日を過ごされたイエス様にとって、ベタニヤというところは憩いの家でした。そこでの一コマを通し、何が『なくてならないこと』なのかを確認します。コロナが始まって以来、接待とか、給仕とか、おもてなしからはほど遠い生活を私たちはしていますが、ここに登場する3人にスポットを当てます。
Ⅰ.マルタとイエス様 同じ両親の兄弟姉妹なのに性格や賜物が随分と違うことは不思議なことです。マルタというお姉さんが、ここでは良くないことをしている印象を持ちやすいですが、そうではありません。「マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた」(38)。別の新改訳では「マルタという女が喜んで家にお迎えした」(38)とあります。接待は彼女の得意とする賜物だったのです。ところが文語訳や英訳聖書ではそれまでマリアと二人で用意をしていたのが、マリアが手伝いから外れてしまったので、マルタは心を取り乱してしまい、主にまで文句を言うはめになってしまいました。「主よ、わが姉妹われを一人残して働かするを、何とも思ひ給はぬか」(文語・英語も同じ内容)と!「私の手伝いをするように、おっしゃってください」(40)とまで言ってしまいました。主の答えは、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り去られることはありません」(41,42)でした。「主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた」(39)マリアを、イエスは弁護され、そればかりでなく、一番良いことを示されました。マルタははたと気づいたことでしょう。イエス様はマルタの接待をとがめたのでなく、思い煩いを注意されたのです。どういう霊性で接待に当たるのかが大切なのです。
Ⅱ.マリアとイエス様 その大切な霊性を保ち、引き上げ、主イエスのみ思いを悟るために必要なこと、それがマリアのとった態度でした。「主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた」(39)マリアが、必要な一つのこと、その良いほうを選びました。「足もと」とは、弟子の位置で、当時のユダヤ教の教師・ラビたちは、女性がそうするのを許していませんでした。マルタもその考えにとらわれていたとも思われます。しかし「主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた」ればこそ、マリアには、主のお心が直に伝わったのでした。ヨハネの福音書12章1~8節でそのことがよくわかります。「マルタは給仕し」(2)とあり、あの時造り変えられたマルタがそこにいます。「一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」(3)マルタもマリアも主への純粋な愛を注ぐ機会を逃しませんでした。私たちも日々主のみことばに聞き入りましょう。
<お知らせ>
▷ついこの間、教会創立70周年をお祝いした感じですが、早くも2年たちました
この2年間はコロナ渦中でしたが、守られて10/1(金)には緊急事態宣言も解除されて、
7週目に共に礼拝堂に集まってお祝いできたこと、主と祈って下さった方々への感謝
にあふれます。
▷実りの秋、収穫の秋、大々的な宣教活動はなお制限されていても、
「正しい人の結ぶ実はいのちの木、知恵のある者は人の心をとらえる」(箴言11章30節)
のみことばのように、クリスマスに向けて救霊の実を主におささげすべく祈ります。