教会学校再開、CS教師会でした。タイトル。 2021.11/21(日)

 <今週のみ言葉> 「私と私の家は主に仕える。」  ヨシュア記24章15節

 説教題:『神に仕える決心』      聖 書ヨシュア記24章14~15節

ヨシュア記23章、24章は、「年を重ねて老人になった」(23・2)ヨシュアの民に向かっての、心を込めての決別説教です。またヨシュア自身の自ら主に仕えることの宣言であり、民に向かっての鋭い信仰の挑戦でした。

Ⅰ.私と私の家を選ぶ決心

「あなたがたは、自分たちの神、主が自分たちのためにこれらすべての国々に行ったことをすべて見てきた。あなたがたのために戦ったのは、あなたがたの神、主である。」(23・3)とヨシュアは民に語りましたが、小野個人が母教会で主幹牧師を務めていたとき、このヨシュア記通読の中で忘れられない一句に出合いました。「長い間に渡ってヨシュアはこれらすべての王たちと戦った。」(11・18)口語訳では「ヨシュアはこれらすべての王たちと長いあいだ戦った。」というみことばでした。<そうなのか。よしゅあは長い間戦ったのか>とヨシュアへの畏敬の念と共に大きな深い慰めと励ましと前進する底力を頂いたことを忘れることができません。モーセの従者としての時代から神直属のリーダーとしての長い期間を通してヨシュアが確かに戦ってきましたが、「あなたがたのために戦ったのはあなたがたの神、主である。」と、ヨシュアはすべての栄光を神に返しつつ語ったのでした。ですから「今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕え、あなたがたの先祖たちがあの大河の向こうやエジプトで仕えた神々を取り除き、主に仕えなさい。」(14)「主に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいたあなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は主に仕える。」(15)民に選択を委ねた上で、ヨシュア自身とその家族(子孫)とは主に仕え続けることを決心として宣言したのでした。主語の「私」が強調されています。他の人がどうであっても「私」は、との固い決心です。

Ⅱ.「今」「今日」選ぶ決心

[私たちには、自分がしなければならない決断を伸ばして、状況に流されてしまう弱さがあります。しかし、今日決断しないことは、流されることを決断してしまうことです。良いことにおいて決心をする機会は二度とないかもしれません。悪魔は耳元で「明日」とささやきますが、この機会を逃してはならない時があるのです。「見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。」(コリント人への手紙第二6章2節)](『牧羊者』P.60)まさにクリスチャンホームと言えば、本日のみ言葉です。林竹治郎画伯の「朝の祈り」という絵の解説のように記されている一句に大きな感動を覚えます。「子らに残す ことばはひとつ 我が家(いえ)は 朝な夕なに 祈りする家」

<お知らせ> ▷例年だと、収穫感謝礼拝をささげ、午後には「ハーベスト・サンクスギビング・フェスティバいて収穫      の主を大いにたたえるのでしたが、コロナ禍のため昨年、今年と断念しています。来年はどうでしょうか? 

      ▷本日より、9:40~10:00、短いですが「お話し中心」の教会学校を再開でき感謝です。献金と頌栄とは一般礼拝に合流します。CS教師・生徒以外の多くの方々がCS献金をして下さり感謝です!

      ▷次週は早くも第1アドベント礼拝です。例年のように点灯式礼拝を行います。今年から時間を早めて16:00~16:30とします。イルミネーションが楽しみです♪