逃げる2月、はや半ばです。 2022.2/13(日)

≪今週のみ言葉≫

    「求めなさい。そうすれば与えられます。」ルカの福音書11章9節

                          

説教題:『熱心に祈り求める』   聖 書:ルカの福音書11章1~13節

『祈りへの深い渇望』が与えられた忘れもしない日を思い起こします。1967年9月21日㈭19時からの定期祈祷会初出席の時でした。9/17㈰に水のバプテスマに与り、そして木曜日の夜の祈祷会に初めて出席し、20名ばかりの方々と心を合わせて祈りました。初めて公会での祈りをささげ、そのあと魂の内に「ああ、祈りの世界は深い、もっともっとその世界を知りたい!」との思いがわいてきたのでした。以来、祈祷会全出席、祈りについて読み聞き、語ることは大きな喜びとなり何より祈ることの言葉に尽くせない恵みに生かされてきました。

Ⅰ.祈りを教えてください(1~4)。 ここには弟子たちの目に映った「祈るイエス」の姿がありました。どれくらいの時間祈っておられたのでしょうか。祈り終わられたイエスに、弟子の一人が、「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください」とイエスに言ったのでした。「祈りについて教えてください」ではなく、「祈りを教えてください」でした。そこでイエスは《模範的な祈り》すなわち《主の祈り》をまず教えられました。何と崇高な祈りではないでしょうか。口先で唱えるだけの祈りではないのです。魂の底から、こう祈る時、それだけで人生が、また日常の過ごし方が変わってくるような祈りです。「私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します」と、祈れなくなった、と証しされた方を思い出します。口先でだけ主の祈りが祈られていることに対して、恩師は「主の祈りが迫害されている」と言われ、さらに、ゆっくり魂の底から祈るように勧められました。

Ⅱ.このように祈りなさい(5~13)。 主の祈りに続いて、イエスは《熱心な祈り》をたとえを用いて教えられました。ある人が真夜中に友だちのところに行って「友よ、パンを三つ貸してくれないか。友人が旅の途中、私のところに来たのだが、出してやるものがないのだ。」と言いました。するとその友だちは、「面倒をかけないでほしい。もう戸を閉めてしまった。子どもたちも私と一緒に床に入っている。起きて、何かをあげることはできない。」(7)と言うでしょう。しかし、この人は、友だちにしつこく熱心に求め続けたので、「友だちのしつこさのゆえなら起き上がり、必要なものをなんでもあげるでしょう。ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば、開かれます。だれでも求める者は手に入れ、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」(8~10) 求め続けなさい。探し続けなさい。たたき続けなさいと、動作も次第に強くなり、決して諦めない熱心な祈りをと勧められています。肉親の父親の子どもへの対応を思えば、ましてや天の父は求める物と共にそれ以上の最高の賜物である「聖霊を与えて下さいます。」(13)と。〈多く祈る者は多く愛する者〉と言われます。私たちも NEVER GIVE UP!(ネバーギブアップ!決して諦めない祈り!)を熱心に祈り続けましょう。そして、生きておられる神のみわざを拝しましょう。

      

<お知らせ>

・北京オリンピックのニュースに様々な感動を覚える日々です。悩みの中にある方々に励ましと希望となるよう祈ります。

・2/12㈯には教団月刊誌『ベラカ』の聖書日課の祈祷課題が「高松新生教会(小野淳子)」でした。多くの方々に祈りに覚えていただいたこと、感謝でいっぱいです。

・特に、今準備中の『新会堂』のために、お祈り頂けたことを心より感謝いたします。神様の栄光が現わされるよう導かれていきますように、更なるお祈りをよろしくお願いいたします。