「逃げる2月」の最終礼拝でした。2022.2/27(日)
≪今週のみ言葉≫
「そのうちの一人は、自分が癒やされたことが分かると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリア人であった。」ルカの福音書17章15,16節
説教題:『感謝と賛美を神に』 聖 書:ルカの福音書17章11~19節
「日本人はとてもポライト(polite・お行儀がよい)で、よくお礼を言いますよね。昨日はありがとうございましたとか、先週はありがとうございましたとか。でも肝心の神様には感謝しませんね。」とは、ある婦人宣教師の言葉でした。とても耳が痛い思いですが、今日の聖書の箇所を読むと、どうも日本人だけではなさそうです。
Ⅰ.大いなる恵みと大いなる忘れ物(17,18)
「ツァラアトに冒された十人の人」の実話です。サマリアとガリラヤの境をイエスが通られた時、サマリア人一人とガリラヤに住むユダヤ人九人の病人が、遠く離れたところに立ち、声を張り上げて、「イエス様、先生、私たちをあわれんでください」と言った(12,13)のでした。イエスは、「行って、自分のからだを祭司に見せなさい」(14)と言われたので、彼らはその言葉に即従ったのでした。「すると彼らは行く途中できよめられた」(14)のでした!癒やされてから祭司のところにふつうは行くのですが、幸いなことにこの十人の人たちは、イエスが癒やして下さるとの信仰を持って従ったので、大いなる癒やしの恵みが与えられたのでした!そのあと、サマリア人とユダヤ人たちとの間が二つに分かれました。ユダヤ人たち九人は、大いなる忘れ物をしてしまったわけです。すなわち、癒やしの恵みは受けても、癒やし主なる神をあがめるために、イエスの元に戻っては来なかったのでした。何という「大いなる忘れ物」ではないでしょうか!?
Ⅱ.大いなる感謝と賛美(15,16)
「この他国人」(18)と、イエスに呼ばれていた一人のサマリア人だけは違いました。「自分が癒やされたことが分かると、大声で神をほめたたえながら引き返してきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。」(15)のでした。『イエスの足もとにひれ伏して感謝した。』のでした。お互いはどれほどの感謝を神にささげているでしょうか。目に見えないイエス様の足もとにひれ伏しての感謝を幾度ささげてきたことでしょうか。まさに言葉に尽くせない感謝を覚える時の思わずの動作です。イエスの喜びはいかばかりだったでしょう!『大声で神をほめたたえながら引き返してきて』(15)とあります。私たちの賛美は、どれほど魂の底からのものとして神にささげられているでしょうか?周囲の人々には大いなる証となりました。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」(19)とのイエスがその人に向けられたおことばは深いです。癒やしと救いは異なるのです。このサマリア人はイエスを救い主と信じ、新しい人生を歩み出したのでした。救われた者にふさわしい感謝と賛美の日々を!
<お知らせ>
・▷明日、2/28(月)をもって、はや2月が逃げていきます。厳冬の月も守られた事を主に感謝します。
・▷「3月のメッセージ」「3月のお祈り」「ヘッダー(菜の花)」が更新されます。
・▷自然界には復活の神による春の息吹がただよってくる事でしょう。霊界にも希望の息吹が訪れる
ように祈ります。
・▷3/13(日)礼拝後には、10年来祈ってきました『新会堂』候補地についての「臨時総会」が
行われ、投開票が行われます。主のみ心が間違いなく成されますようお祈り下さい!
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