雨の多い季節を迎えました。2022.5/15(日)
≪今週のみ言葉≫「【主】よ、お話し下さい。しもべは聞いております。」サムエル記第一3章9節
説教題: 『少年サムエル』 聖書:サムエル記第一3章1~14節
今年に入って、一人で牧会しておられる後輩の婦人牧師お二人から、「初めて結婚式の司式をするので」「初めて献児式の司式をするので」と、アドバイスを求めるお電話を頂き、共に喜び、お祈りさせて頂いたことです。献児式は教会にとって大きな希望です。もちろんご両親はその子をご家庭で養育されるのですが、教会に委ねられた幼な子として育てられる幸いを覚えることです。さて『少年サムエル』の場合はどのようだったでしょう。
Ⅰ.主の前に仕えたサムエル 「さてサムエルは、亜麻布のエポデを身にまとった幼いしもべとして、主の前に仕えていた。」(2・18)この背景には、母ハンナの信仰がありました。男の子が与えられたら、その子を一生涯、主のものとして、お献げしますとの神の前での誓約の通りにしたのでした。主の神殿に仕えていた祭司エリは、老齢化し、また2人の息子たちホフニとピネハスは「よこしまな者たちで、主を知らなかった」(2・12)とあります。それでもハンナは主との誓約を破ることなく、乳離れしたサムエルを主の家に連れて行き、サムエルはそのまま主の家に残されたのでした。「エルカナはラマにある自分の家に帰った。幼子は祭司エリのもとで主に仕えていた。」(2・11)のでした。サムエルは「主の前に仕えていた。」(2・18)のです。教会学校教師として55年ご奉仕させて頂いてきた中で、子どもたちを何の前に、誰の前に育てるのか、という重要な問いかけを頂きます。親の名誉欲の前か、この世の教育者の目の前にか、いや、そうではない、≪主の前≫≪主の御目の前に≫育てることの大切さを痛感するわけです。ハンナはサムエルを最善の処に置いたのでした。
Ⅱ.主の声を聞いたサムエル 「さて、少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。」(3・1)本日のテキストの出来事は、歴史家ヨセフスによると、サムエルが12歳の頃、すなわち小学校6年生の頃、『少年サムエル』と言われる頃の出来事だということです。「神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていた。」(3)夜明け前の出来事でした。主は一度、二度、三度とサムエルを呼ばれました。サムエルはその度にエリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言いました。エリは一度目、二度目の時には「呼んでいない。わが子よ、帰って寝なさい。」と言いましたが、三度目には、「エリは、主が少年を呼んでおられるということを悟った」(8)のでした。そこで今度呼ばれたらこう言いなさいと、本日の中心聖句を教えました。「【主】よ、お話し下さい。しもべは聞いております。」(9)四度目に主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話し下さい。しもべは聞いております」と言った。(10)主からのメッセージはエリ家への厳しい宣告でした。サムエルは残らずエリに語りました。預言者サムエルの誕生でした。子どもたちが「主の前に」育てられるよう祈り、お互いも今の時代の預言者として用いられるべく、「みことばと祈り」に徹して主の前に生かされましょう。
<お知らせ>
・農作物のために必要な雨が注がれるように、霊界にも恵みの雨が注がれますようお祈りします。ペンテコステ(聖霊降臨)の恵みを待ち望みます。
・コロナ禍の中で、さまざまに忍耐を学んでいます。みことばに励まされます。
「ですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです。」ヤコブの手紙5・7~8