花々の美しい季節です。 2022.5/22(日)

≪今週のみことば≫

「人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」サムエル記第一16章7節

 救い主イエス様は、「ダビデの子」と呼ばれました。メシアなるお方は「ダビデの子孫」(テモテへの手紙第二2・8)ダビデの血統、ダビデの家系からの誕生でした。その『ダビデの選び』についてです。

Ⅰ.選ばれたダビデ 民の要求に応えて与えられた最初の王 サウルは失敗を重ねて王位から降ろされました。悲しむ預言者サムエルに、主は次の王を見出したから、エッサイのもとに行くようにと語られます。「王位」については、主も受け入れて、主の心にかなう王を立てようとされたのでした。ベツレヘム人エッサイには、8人の息子たちがいました。サムエルは一体どの子が選ばれるのかと戸惑ったことでしょう。現に一番にサムエルの前に来たエリアブを見た時、「きっと、主の前にいるこの者が、主に油を注がれる者だ」と思った。(6)とある通りでしたが、実は違っていたのでした。主はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」(7)との、主のみ声をサムエルは聞きました。父エッサイは、次男アビナダブ、三男シャンマ(シムア)、四男ネタンエル、五男ラダイ、六男オツエム、七男エリフ(シリヤ語訳)【『新改訳2017』では七男ダビデ】と、7人の息子をサムエルの前に進ませましたが、サムエルはエッサイに、「主はこの者たちを選んでおられない。」と言ったのでした。(10)実は、もう1人第8番目の息子ダビデが、羊の群れの番をしていたのです。連れて来られたその子は、「血色が良く、目が美しく、姿も立派だった」(12)のです。「さあ、彼に油を注げ。この者がその人だ。」(12)との主のみ声により、「サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。主の霊が、その日以来、ダビデの上に激しく下った。」(13)のでした。<羊を飼う仕事>それは、その家の中で大切にされていない家族か召使いのする卑しい仕事でした。しかしダビデの内に優しい心が養われ、その仕事の中で純粋に神と交わり、神こそ「わが羊飼い、わが牧者」と仰ぐ信仰が育まれ、珠玉の「真珠の詩篇」と言われる詩篇23篇が歌われるに至りました。

Ⅱ.選ばれた私たち 「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。(ヨハネ15・16) 心の内を見られたら、罪・汚れに満ちていた私たちを選び、任命しましたと言われます!さらにはパウロの言葉によると、「しかし、母の胎にあるときから私を選び出し、恵みをもって召して下さった神」(ガラテヤ1・15)、更には「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方(イエス・キリスト)にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」(エペソ1・4)とのみことばを読む時、お互いの選びが、神の憐れみと不思議以外の何ものでもないと驚くばかりです![本日の中心聖句の意味は、「人は自分の目に従ってものを見るが、神はご自分の心に従って見られる」ということです。人間の弱さを知り尽くしておられるお方として、あわれみに満ちた心によって見られた結果、ダビデを(そして私たちを)選ばれたのです。}

<お知らせ>

▷本日は、13:00より、定例役員会が、行われます。森沢主管牧師先生はzoom出席してくださいます。主の栄光のために、主のご計画が前進する役員会となりますようお祈りください。

▷「かえるクラブ」はコロナの危惧もあるので、子どもたちは自粛状況のようですので、夏休み明けまでお休みとします。残念ですが、子どもたちに渇きが与えられて幸いにも日曜日9:40~から行われている教会学校に集う子どもたちがおこされますようお祈りください。