8月に入りました。2022.8/7(日)

《今週のみ言葉》

「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。

ルカの福音書18章14節

説教題: 神に喜ばれる心    聖書:  ルカの福音書18章9~14節

「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」 ルカの福音書18章14節

今回で5回の「キリストのたとえ」の単元を終え、次週から9月いっぱいは、旧約聖書の預言者たちのメッセージとなります。本日のたとえを学ぶ時、「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(サムエル記第一16章7節)のみことばを思い出されます。ですから、タイトルは『神に喜ばれる心』です。

Ⅰ、自分を高くする者(11,12節)  

「自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。」(9)祈るために宮に上って行った二人のうちの一人のパリサイ人に、実はイエスはこのたとえを話されたのでした。「パリサイ」とは、「分離」を意味し、「罪人」「異邦人」「遊女」そして、ここのたとえに出てくる「取税人」たちとは、自分たちは明らかに「分離する者」として、他の人々をまさに見下していたのでした。「パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。」(11)祈りの言葉の前に祈りの姿勢が語られます。身体的姿勢、霊的姿勢とも言えます。「立って」当時のユダヤ人は通常、立って祈った。

しかし、ルカはここで、単に身体的姿勢を語るのではなく、13節の「立ち」より強い言葉を用いる。すなわち、「自分を立てる」という意味で用いています。彼は人々の注目を集めるために、なるべく目立つところに立って信心深そうな態度で祈ったのでした。「心の中で」祈ったというより、ひとり言であって、決して神に向かっての祈りではない。主はその心の中の祈りを知られ、続くパリサイ人が他をさばく言葉、さらには自分の功績や律法への忠実さを誇る言葉を聴かれました。まさに《自分を高くする者》の典型でした。

Ⅱ、自分を低くする者(13節)それに比べて取税人の祈りの姿はパリサイ人とは全く対照的で、「目を天に向けようとせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんで下さい。』」(13)という祈りでした。主イエスの下された判定が14節です。「あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」【義と認められるとは、神と人との正しい関係を表す言葉で、神のみこころにかなってそのご支配の中に受け入れられる、という意味を表す。直訳は「神によって正しいと宣言されて者、正しいと認められた者」となる。】(『牧羊者』P50)「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」(ヤコブの手紙4章6節) 

<お知らせ>

▷本日は、礼拝後、2か月に1回の「たんぽぽの会」を開いて、伝道のことやその他のことを語り合います。有意義な時となりますように!

▷次週、8/14(日)の礼拝後には「プロジェクト希望にむかって」委員会です。「新会堂実現にむけて」神のみこころ(ご計画)が進められていきますよう、お祈り下さい。