5月の月に入りました。2023.5/7(日)
《今週のみ言葉》
「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」 ローマ人への手紙6章23節
◇牧師館より祈りを込めて 5/7㈰ 礼拝説教概要
説教題:『罪の報酬』 聖書:創世記3章6~19節
「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」ローマ人への手紙6章23節
神がご自身の民をきよめようと、召集して下さるのが聖会。第88回塩屋聖会にオンラインで参加でき感謝しました。聖会Ⅰ、説教者の鎌野善三先生がイザヤ書9.1-7より語られ「預言者はどんな暗闇の時代にも神によって希望を語る」との言葉が印象深く残りました。さて、創世記は、聖書の苗床と言われ、あらゆることの「初め」が記されています。本日の所は。「罪の初め」です。
Ⅰ、罪の報酬は「死」 罪の結果としての症状をみます。(『牧羊者』P45~46参照)①自分を神から隠さないといけなくなりました。②神様のことが恐ろしくなりました。③自分の罪を認めず、「ごめんなさい」を言わず、他人や神様のせいにするようになりました。責任転嫁です。④男も女も、人間は苦しんで生きる者となりました。⑤やがて、「土に帰る」「ちりに帰る、つまり「死ぬ」ことになりました。⑥それだけでは終らず、体が死ぬだけでなく、霊が死んでしまうことになりました。つまり、神様から完全に捨てられる、神様からの永遠の断絶という恐ろしい報酬を受けることになるのです。
Ⅱ、神の賜物は「永遠のいのち」
本日の説教題は、『神の賜物』とすべきだったように思います。驚くべき最初のメシア預言が、なんとこの厳しい罪の報酬の宣告のどまん中に輝くのです。「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」(15)「おまえ」とは、蛇のこと、「彼」とはメシアなるイエス・キリストのことです。「頭(かしら・口語訳)を打ち」とは十字架によって完全に打ちこぼつということ、「かかとを打つ」とは全く、いのちに別条なしの苦しみにとどまるということです。まさにここに預言されているお方こそが、救い主、贖い主、主イエス・キリストのことで、このキリストの十字架上での贖いの死こそが、唯一の罪からの解放の代価であり、流された罪なきキリストの血によって罪ゆるされ、洗われ、きよめられ、それによって死のとげが全く処分され、死んで3日目に復活されたイエス・キリストの如くに、死んでも(肉体)、復活栄光の身体によみがえり、永遠を神と共に生きるいのちに生かされるというのです。そしてこれは、全くの「神の賜物」すなわち、贈り物・プレゼントです。どんな人でも「ただ信じて、受け取る」最高最上のプレゼントです。ゆえに、<罪を憎み、神のみ前に悔い改め、ゆるされて、どうしてもこのキリスト・イエスにある永遠のいのちに生かされましょう!>
<お知らせ>
▷「今月のメッセージ」「5月のお祈り」「ヘッダー(カーネーション)」が更新されています。
▷本日は、礼拝後、昨年と今年、洗礼を受けたり、転入会された方々8名の《歓迎会》を開きます。久方ぶりの主にある親睦の時を楽しみにしています!