紫陽花の季節です。 2023.6/11(日)

≪今週のみ言葉≫

 「御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」マタイの福音書6章10節

 説教題:『「主の祈り」を祈ろう』   聖書:マタイの福音書6章7~13節

    共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)の中で、マタイは山上の説教の中で、「主の祈り」を記しましたが、ルカが記した「主の祈り」は、ルカ11・1~4にあり、それはイエスが祈り終えた時、弟子の一人がイエスに「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」と言ったのに対して、「祈る時には、こう言いなさい。」と「主の祈り」が教えられています。まさに『主の(教えて下さった)祈り』です。「あなたがたの天の父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。」(7)そこでイエスは模範的な、クリスチャンの標準となる祈りについて教えられました。いわば【人間の祈り得る最高の祈り、究極の祈りです。】(『牧羊者』P.77)

Ⅰ.神に関する祈り まずは「神に関する祈り」 次に「人の必要に関する祈り」であって、この順序が大切です。「天にいます私たちの父よ。」私はひとりでなく、神を父とする「神の家族の一員」なのです。神は、「父なるお方」なのです。「御名が聖なるものとされますように。」神のご支配(支えと心配り)が、自分自身の内に拡大されますように。伝道により、人々が回心し、神の支配が拡大されるように、キリストが再臨され、御国が完成しますようにとの祈り。「みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」すべてにおいて神のみこころが行われますようにとの祈りであり、これはゲッセマネでのイエスの従順の祈りと同質の祈りです。

Ⅱ.人の必要に関する祈り

「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」その日その日に必要な食物のみに限らず、生活の中でのすべての物質的必要を求める祈り。そのこと自体が神に依存する自分であることを認め、神を崇めることになります。荒野のイスラエルを40年間、マナやうずらや水をもって養われた神が、お互いの人生の荒野の旅においても全ての必要を満たして下さいます。「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。」ここでの「赦します」の動詞の自制は、不定過去であって、完全に赦し、何のこだわりもないという告白です。私たちは、日々、神と人々に赦されて生かされている存在なのです。「私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。」これは自分の弱さを知り、守り救って下さる神に信頼する祈りです。人は、誘惑者サタンより弱い存在ですが、唯一強く勝利して下さったお方が主イエス・キリスト様です。初代教会は「主の祈り」を公の礼拝にふさわしく整えるために頌栄を付け加えました。「国と力と栄えは永遠にあなたのものだからです。アーメン。」更に敬虔な思いをもって「主の祈り」を祈り続けましょう。

  <お知らせ>

▶本日は礼拝後、「プロジェクト希望にむかって」委員会が行われます。忍耐と祈りと待ち望みの『新会堂』の実現のためご加祷下さい。

▶次週は「父の日礼拝」をささげ、その午後1時半より『歌声カフェ 第1回』を開催致します。新聖歌やゴスペルと共に、懐かしい日本の歌や童話などを歌う会です。近隣の高齢の方々が楽しみにして下さっています。宣教・救霊のために用いられますようにと祈っています。もちろんティータイム付きです。