「8月や6日9日15日」2023.8/6(日)

≪今週のみことば≫

 「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

                                マタイの福音書5章5節

日本最古の聖会、バックストン師来日5年後の1895年から導かれてきた、第124回「関西聖会」が8/1(火)2(水)と行われ、4回の聖会にYouTube視聴にて参加させて頂きました。聖会Ⅲは、教会祈祷会が合流させて頂きました。あるいは各自で視聴参加された方々もありました。主講師の中西雅裕先生、講師の工藤弘雄先生、川原﨑晃先生のみならず、司会や立証の先生方を主が豊かに御手の中でお用いになられたことをしみじみ覚え、霊の恵みを味わいました。聖句は、「むしろ、聖霊に満たされなさい。」(エペソ人への手紙5章18節)本日のメッセージは、御霊の実の一つである『柔和』についてです。【国語辞典は「柔和」を「やさしく、おだやかなさま。とげとげしい所のない、ものやわらかな態度・様子」と説明しています。】(『牧羊者』)P50)

Ⅰ、イサクの祝福と試練  「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主は彼を祝福された。こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。」(12,13)イサクの住んでいた国に飢饉が起こり、イサクは、ゲラルのペリシテの王アビメレクのもとへ行きました。その時、主はイサクに現れて、「エジプトへは下ってはならない」と言われました。イサクは主のことばに従い、ゲラルの地で住む中、一つの失敗をしましたが、悔い改めて、その飢饉の地で種を蒔き、百倍の収穫が、主の祝福として与えられました。「彼が羊の群れや牛の群れ、それに多くのしもべを持つようになったので、ペリシテ人は彼をねたんだ。」(14)ねたんだペリシテ人たちは、イサクの父アブラハムの時代に父のしもべたちが掘った井戸を、すべてふさいで土で満たしたばかりでなく、アビメレクからは、その地から出て行ってほしいとまで言われてしまいました。イサクはそこを去り、ゲラルの谷間に天幕を張って、そこに住み、ペリシテ人たちによってふさがれた井戸を掘り返しにかかりました。イサクのしもべたちが、湧き水の井戸を見つけると、そこにゲラルの羊飼いたちがきて「この水はわれわれのものだ」と言って争うので、イサクはその井戸の名をエセク(争う)と呼び、そこを去りました。もう一つの井戸を掘った時も彼らが争うのでその名をシテナ(敵意)と呼びました。イサクは次々に譲歩して争うことはせず、他に移ったのでした。

Ⅱ、イサクの柔和による勝利  「イサクはそこから移って、もう一つの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテと呼んだ。そして彼は言った。『今や、主は私たちに広い所を与えて、この地で私たちが増えるようにして下さった。』」(22)レホボテとは広い所という意味です。それまでのイサクの忍耐と柔和を、主は覚えて、更なる祝福を与えられました。イサクは、来たるべき「柔和なお方」の型でしょう。「わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」(マタイ11・29)「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった、ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。」(Ⅰペテロ2・22,23)真の柔和とは、神のみ前での謙遜とみこころへの従順です。

<お知らせ>

▷本日6日は広島に、9日(水)は長崎に原爆が投下された痛ましい記念日です。まずは「神の平和」を、そこから「人との平和」をと祈ります。

▷夏休みの8月。子どもたちにとって、安全、安心、そして楽しい日々でありますよう祈ります。日曜日の9:40~10:00(~11:15の礼拝)の教会学校には、夏休みはありませ~~ん。イエス様と一緒によい夏休みを過ごしてほしいです!