先週は梅雨中休みの猛暑日でした。  2024.7/14(日)

≪今週のみ言葉≫

「これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。」マルコの福音書7章23節

     説教題:『きれいな心の幸せ』      聖書:マルコ7章14~23節

『牧羊者』のカリキュラムでは本日7/14㈰~8/4㈰までの4回の単元(テーマ)が<救い>となっています。本日のテキストは7章はじめの部分において、<昔の人たちの言い伝えを固く守って>いたパリサイ人たちや律法学者たちとの問答のあとにイエスが群衆に(14,15)、また弟子たちに(17~23)語られたことです。(注・口語訳には〔16 聞く耳のある者は聞くがよい。]があります。)

Ⅰ.人の中に入ってくるもの 「外から入って、人を汚すことのできるものは何もありません。人の中から出て来るものが、人を汚すのです。」(15)と群衆に語られたのを聞いた弟子たちは、このたとえの説明をイエスに求めました。イエスは物分かりの悪い弟子たちに言われました。「外から入って来るどんなものも、人を汚すことはできません。それは人の心には入らず、腹に入り排泄されます。」(18.19)「こうしてイエスは、すべての食物を清いとされた」のでした。【旧約聖書には「食物に関する規定」 (レビ記11章)があり、ユダヤ人たちにとっては清い食物と汚れた食物とが明確に区別されていた。しかしイエスはこのような区別は形式的な意味しかなく、食物自体が汚れているとは考えなかった。それゆえこの箇所はイエスによる旧約聖書の新しい理解が明らかにされている非常に重要な箇所なのである。】(『牧羊者』P.19~20)「神が作られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません。神のことばと祈りによって。聖なるものとされるからです。」(テモテ第一4・4~5)

Ⅱ.人の中から出てくるもの 「人の中から出て来るものが、人を汚すのです。」(15)「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。内側から、すなわち人の心の中から悪い考えが出てきます。みだらな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、これらの悪は、みな内側から出て来て人を汚すのです。」(20~23)「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒しがたい。だれが、それを知り尽くすことができるだろうか。」(エレミヤ書17・9)「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。」(同 口語訳) 「悪のリスト」に関しては、ローマ1・29~31,ガラテヤ5・19~21、Ⅰテモテ1・9~10,Ⅱテモテ3・2~5に記されています。これでもかと思い知らされるもので,原罪をもって生まれ出たすべての人間が対象とされ、誰一人の例外もありません。唯一、神が人となって来られた「イエス・キリスト」のみであり、人にはできないことも、このお方にはできないことはなく、十字架に流してくださった聖い血によって、「その罪を赦し、私たちをすべてに不義からきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1・9)ですから「真実で正しい方」である神の前に、「自分の罪を告白する」救いの道へと進むのみです。信仰者であっても罪を犯す可能性はあります。しかし悔い改めの恵みはいつも備えられています。ダビデは大罪を犯した後、悔い改め、赦される幸いを歌いました。詩篇51・10、32・1,2。

<お知らせ>

▶半年が瞬く間に過ぎ、下半期に入った7月ももう半ばを迎えました。本当に時がたつのは速いことです。

▶8月末には第63回「香登修養会」、9月半ばには第47回「西日本再臨待望大会」、10月半ばには第60回記念「四国聖会」と委員会が行われて、人が準備をしますが、召集されるのは神様です。神に近づく聖会を通して、フルタイムの直接献身者が多く起こされますようにと、教会の祈祷会でお祈りしています。