「秋分の日」を迎えました。2024.9/22(日)

≪今週のみ言葉≫

「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」ヨブ記1章21

    説教題:『神を賛美する』   聖書:ヨブ記1章1~22

 ルターは、ヨブ記について「聖書の中で、他のどの書簡よりもすぐれ、堂々としており、また崇高なものである」と考えました。ヨブはイスラエル人ではなかったが、真の神を信じる信仰者であり、主に従う「義人」でした、【「誠実で(ターム)、直ぐな心を持ち(ヤーシャール)、神をおそれて(ヤーラー)、悪から遠ざかっていた(サール)。旧約聖書における敬虔を表す用語が四つ重ねられることで、ヨブの信仰が内面的にも実践においても模範的であったことを示している。】(『牧羊者』P.79)ヨブが140年の長命であったことにより、彼は族長時代の人であり、知られている限りでは、世界で最も古い書であり、ヤコブの時代に書かれたものとされています。

.ヨブの試練の背景 

多くの財産と所有、また子宝にも恵まれ「心の中で犯したかも知れない罪にすら気を配る誠実な信仰者ヨブ自身が、祭司の役割を果たしていたのでした。そのヨブを訴える者が主と語り合います。主はサタンの前でヨブを自慢されます(8)。それに対しサタンは「ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか。」(9)と語り、「彼のすべての財産を打ってみてください。彼はきっと面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」(11)と主に言いました。主はそのことをゆるし、ただヨブ自身には手を伸ばしてはならないと言われました。サタンも神の主権に服していることが明確にされています。そこでサタンは主の前から出ていったのでした。何が起こりましたか。一日の内に、牛、ろば、羊、らくだが奪われ、殺され、10人の子どもたちが大風による家の倒壊で亡くなったのでした!想像をはるかに絶することがヨブの身辺に起こりました。サタンがヨブの信仰は物質的な祝福に由来する「御利益信仰」ではないか、との問いかけから、起したこれらの出来事でした。しかし「ヨブを試みようとするサタンとは対照的に神はヨブを信頼していた故の出来事でした。」(グテイエレス)。

.ヨブの試練への信仰姿勢 

「このとき、ヨブは立ち上がって上着を引き裂き、頭を剃り、地にひれ伏して礼拝し」(20)とあります。ヨブは決して感情を押し殺して事態を受け入れたのではありません。人としての感情を、悲嘆の表現として表しました。その悲嘆たるや、通常では表し得ないほどのものでありました!一日の内に、一切を(妻を残して)失ってしまったということでした!ところが、ヨブは言いました。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(21)どこまでもヨブの信仰姿勢は、すべての出来事の中に、神の主権を認め、どこまでも神を賛美する姿勢は崩されませんでした。神のヨブへの信任、信頼は裏切られませんでした!お互いもまたいついかなる時にも、このヨブの告白と賛美を主におささげできますように。

 

<お知らせ> 

▶9/16(月祝)には、10:30~14:00、高松田村町教会に教区7教会より50名(当教会より14名)が集い「賛美集会」の形での伝道応援の時がもたれました。2才10ヵ月の幼児から91才の方まで1つ心になって主を賛美する喜びに浸りました♪共に主にあって祈り合い、支え合い、宣教のために用いられますようにとの思いと祈りを主にむかって熱くされた祝福の時でした。感謝!

▶次週、9/29(日)は第5週の礼拝ですので、植松敏幸師がみことばのご用に当たって下さいます。感謝です。お祈り下さい。