教会創立75周年記念合同礼拝でした。2024.10/6(日)

≪今週のみ言葉≫

「この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」ルカの福音書10章36

  説教題:『隣人を愛する』   聖書:ルカの福音書10章25~37

 次週10/13㈰には、徳島刑務所にて清原修先生の教誨により救われ、出所後、救世軍士官学校(神学校)にて2年学びと訓練を受けられ、今、東京渋谷小隊 中尉としてご奉仕しておられる、吉田慎也先生をお迎えして礼拝説教をして頂きます。この日以外は『牧羊者カリキュラム』は、本日から11/17㈰まで<キリストのたとえ話>がテーマです。深く含蓄のある主のたとえ話に魂にさぐりを入れていただき、なお豊かな信仰者として養われましょう。本日はルカのみが記している「よきサマリア人」のたとえ話です。

Ⅰ.律法の専門家の質問 素直な質問というよりは、「イエスを試みようとして言った」(25)質問でした。「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」(25)「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」(26)の問いに対し、「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」と彼は答え、「あなたの応えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」とのイエスの言葉に対し、実は、実行力に欠けていたこの人は、主にたずねました。「では、私の隣人とはだれですか。」(29)

Ⅱ.イエスのたとえによる解答 そこでイエスは、「よきサマリア人」のたとえを話されたのでした。「ある人が、エルサレムからエリコへ下って行ったが、強盗に襲われた。」(30)その人は着ているものをはぎ取られ、殴りつけられ、半殺しにされて、横たわっていました。祭司がその道を下ってきて、その人を見ると、反対側を通り過ぎて行きました。次いで、レビ人も同じようにその場所に来て、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行ってしまったのでした。「ところが、旅をしていた一人のサマリア人は、その人のところに来ると、見てかわいそうに思った。」(33)のでした。この憐れみの心の表現は、ルカ15・20の放蕩息子のお父さんの心にも用いられている言葉で、「はらわた」から来ているものです。ユダヤ人とは反目関係にあったこのサマリア人は、「近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱した。」(34)のでした。つまり、自分は歩いたのでした。そればかりでなく、デナリ2枚(2日分の労賃)を宿の主人に渡し、介抱を頼み、不足分はまた帰りに私が支払いますとまで約束。至れり尽くせりでした。「この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」(36)「その人にあわれみ深い行いをした人です。」「あなたも行って、同じようにしなさい。」(37) この律法の専門家にとって、たとえの中の「祭司やレビ人の行動」はいかに心探られたことではなかったでしょうか!? 【隣人を愛するとは、愛する価値のある「隣人は誰か」と、愛の対象を制限することでは無く、たとい敵であっても「隣人になって」愛することであると教えている。そのためにはキリストの愛に満たされることが必要である。】(『牧羊者』P.14) 『救霊愛国・友愛伝道』(長島幸雄師四字熟語)

<お知らせ>

▶1949(S24年)年10月3日伝道開始。岡山県玉野教会より、丹羽かめ師、平原光治兄、熊野磬兄が瀬戸内海を超えて来られました!9年後の1958年(S33)年9月24日、現在地に「会堂献堂式」。29年後の1987年(S62)年4月5日「教育館・牧師館献堂式」を経て、今年75周年の記念礼拝をお献げしました。<新会堂献堂>にむけて祈っています。

▶次週、10/13(日)の礼拝には、説教者として救世軍東京渋谷小隊の吉田慎也中尉をお迎えします。四国・徳島刑務所で、清原修牧師の教誨を通して、新生。献身されました。その翌日、10/14(月祝)には、第60回記念・四国聖会が徳島県の小松島栄光教会で行われ、清原牧師が説教、吉田中尉が証しに立たれます。お二人の演奏もあります。聖会Ⅰ(10:00~)昼食をはさんで(5年ぶり)、聖会Ⅱ(13:00)~です。主の聖会にご参加下さい!