11月最初の聖日を迎えました。2024.11/3(日)

≪今週のみ言葉≫
「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから
。」 ルカの福音書15章24節
 説教題:『駆け寄る愛』  聖書:ルカの福音書15章11~24節
 【有名な「放蕩息子のたとえ」として知られている箇所です。たとえの中心は放蕩息子
のように思われますが、真の主役は父です。<死んでいた>のも同然の息子を迎え入れ
る父の姿を通して、この物語ほど天の父なる神の愛を豊かに表しているたとえはありま
せん。この話を通して、私たちの本当の幸せは神にあることを教えられます。】(『牧
羊者』p.35)小島伊助先生は、このルカの福音書の金言は「こうして彼らは祝宴を始め
た。」(ルカ15・24)との、このみことばですと言われました。
Ⅰ.走り去って窮した息子 二人の息子の弟息子の方が、まだ父親の存命中にも関わらず
、「お父さん、財産のうち私がいただく分を下さい」(12)と言い、父は兄と弟の二人
に分けたやったのでした。何日も経たないうちに、弟息子は全ての物をまとめて遠い国
に旅立ち、放蕩をし、財産を湯水のように使い果たし、よりにもよって激しい飢饉にみ
まわれ、食べることにも困り果ててしまいました。その地方のある人のところに身を寄
せたところ、豚の世話をさせられることになってしまったのでした。豚の食べるいなご
豆で腹を満たしたいとさえ思っても誰も何もくれない。その中で「彼は我に返って言っ
た。」のでした(17)。神の憐れみの中で、息子は父の元に悔い改めて帰ろうと、父へ
のお詫びの言葉を考えました。18,19節。あるいは、父の憐れみを受けることができ雇
い人の一人にしてもらえるかもと考えました。「こうして彼は立ち上がって、自分の父
のもとへ向かった」(20)のでした。
Ⅱ.駆け寄って迎える父 「ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて
、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。」(21)変わり果てた息
子の姿であっても、すぐにみとめた父親でした。それまで、今か今か、今日か、今日か
と息子の帰りを祈り待ちわびていたに違いありません。「まだ家までは遠かったのに」
父親の眼に息子が飛び込んできました。そして「かわいそうに思い」まさに憐れみに満
ち満ちた父親の心でした。ああだった、こうだったなどと過去を思い返すのではなく「
今」「目の前にいる」「みつけた、生き返っている」息子への憐れみの心のみでした
。「駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。」(20)のでした。「何度も何度も口づけ
した」ということばです。詫びる息子の言葉も遮って、しもべ達に「一番良い衣」(新
しい品性)を着せ、「手に指輪」(子としてのしるし)をはめさせ、「足に履き物」(
新しい歩み)を履かせました。さらには肥えた子牛を屠らせ、盛大な祝宴を始めたので
した!この息子の魂の感激はいかほどだったでしょう!!父なる神の愛はこのような愛
、圧倒的な愛です。ここにこそ人の幸せがあるのです。
    

<お知らせ> 
▶本日は礼拝後、恒例の「おでん昼食」をとり今年2回目のワックスがけと教会大掃除でした。                   クリスマス、新年に向けて主の宮を美しく!
▶次週は「子ども祝福合同礼拝」、子どもたちのための祝福の祈りとプレゼントは『ハドソン・テーラー伝記絵本』です。伝記で励まされて大いに信仰が育てられてほしいと祈ります。ランチも久しぶりにたこやきやフランクフルトやで楽しみです♪(すべてタダで食べ放題!)                                                           ▶10/31(木)10:00~11:30松山福音センターにて『愛と希望の祭典・四国』の決起祈祷会、小野牧師が証しメッセージをとりつがせて頂き対面27名、オンライン8名にて心熱く四国の魂の救霊と教会のためお祈りでき感謝でした!11/10(日)14:00~松山ホーリネス教会、11/16(土)14:00~松山桑原キリスト教会、11/20(水)10:30~高松新生教会にてと続きます。四国に未だかつてなかった主のみわざを!と期待して祈っていきます。ご参加、ご祈祷下さい!