「歌声カフェ」の聖日です。2025.2/16(日)

≪今週のみ言葉≫  

   「主を恐れることは知識の初め。」     箴言1章7

  

説教題:『知識の初め』   聖書:箴言1章7節

イスラエル王国の初代の王サウル、第二代の王ダビデ、そして第三代の王ソロモンによって記された「箴言(The Proverbs)」からのメッセージです。(B.C.971~931年在位)

Ⅰ.主を恐れること 本日の中心聖句は「箴言」の書全体の金言とも言えるみことばです。和訳として残念なところは「恐れる」という漢字が使われていることです。これだと「恐怖」のおそれると取られてしまいます。日本の神観には多分にその要素がありますが、文語訳では「畏るゝ」とあります。こちらこそ「畏敬」の念、つまり畏れ敬う心ということで、まことの神への心を言い表します。まことの神を「畏れ敬い、かしこむ」そうすることが「知識の初め」だとソロモンは記します。「愚か者は知恵と教訓を蔑む。」と続きます。「知識の初め」ですから他の何の知識にもまさって第一に得るべき知識、それが「主を恐れること」だというのです。

Ⅱ.ソロモンとサウロ(のちのパウロ) 

①ソロモン。神の言の「正典」66巻の中の「箴言・伝道者の書・雅歌」この3書がソロモンによります。列王記第一4・29には「神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。」とあり、4・32には「ソロモンは三千の箴言を語り、彼の歌は千五百首もあった。」と記されています。更には伝道者の書12・1には「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」と、珠玉のみことばを記してくれています。確かにこれらのみことばの通りの若き日々のソロモンでありましたが、残念なことには晩年のソロモンは多くの異国人の女たちに心奪われ、神からの怒りを受け、王国は彼の後、南と北に分裂してしまいました。

②サウロ(のちのパウロ)。使徒の働き9章には、厳格なパリサイ人であったサウロの驚くばかりの回心の出来事が記されています。サウロがダマスコにいるクリスチャンたちを捕らえに息を弾ませて向かっていたその途上で、彼の目の前に復活のキリストがたちはだかったのでした。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」(使徒9・4)と。真昼の太陽よりもまぶしい光に照らされて、地に倒れたサウロは三日三晩、目も見えず食べることも飲むこともしない中で、しかしその魂には真理の光が射し込み、十字架と復活のキリストの実在に触れ、180°の回心へと導かれました。このことはサウロ一人のためでなく、キリスト教会の歴史上、重大な出来事となりました。13通のパウロの手紙の内の、ピリピ人への手紙3・4~11に本日の金言をまさに裏打ちするパウロの告白を読み取ることが出来ます。「肉において頼れるところ」を人以上に持っていたサウロでしたが、それらをキリストのゆえに損と思うようになったというのです。「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただとかんがえています。」(ピリピ3・8)「わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに」(口語訳)「それらのものをふん土のように思っている。」(同)お互いに「わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値」を深く味わい、抑えられないほどの思いを持って伝えていきたいものです。

<お知らせ>

▷2/10(月)11(火・祝)と、第55回全四国クリスチャン修養会が、松山福音センターにて、対面ならびにオンラインにて行われました。1969年、本田師、羽鳥師による四国総動員伝道の出発集会以来、霊の恵みの餐宴が受け継がれてこられ、幸いな主のご計画に感謝する者です。小平牧生師・山川哲平師&ファミリーのご奉仕に心より感謝いたしました!

▷2023年6月18(日)「父の日礼拝」に続いて、第1回「歌声カフェ」がスタートし、途中から、偶数月の第3聖日となり、本日は第⑫回目となります。主を賛美し、恵みに満たされると共に小さいながら、宣教の場として用いられたく、祈りつつ、「継続は力」のスピリットにて、進んでいきます。どなたもご参加歓迎です♪