新年度を迎えました。2025.4/6㈰
≪今週のみ言葉≫
「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」 ルカの福音書23章34節
説教題:『十字架上での祈り』 聖書:ルカの福音書23章32~38節
【イエスは、「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10・11)と言われました。それに続いて、「だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります」(ヨハネ10・18)ともおっしゃいました。イエスが十字架上でいのちを捨てられたのは、自発的にご自分でいのちを捨てられたということです。】(『牧羊者』p.7)
Ⅰ.極限の苦痛の中で
十字架に架けられる前夜、イエスは、ルカの筆によるとゲッセマネにおいて苦祷をささげました。「イエスは苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」(ルカ22・44)自発的に十字架に向かうとは言え、それはまさに極限の苦痛に向かうことでした。肉体的にも、茨の冠、むち打ち、両手両足、3本の釘、朝の9時から午後3時。精神的にも、それは<身代りの死>ではありましたが、極悪人の場(真ん中の十字架)に架けられ、人々の嘲り、ののしり、蔑視の中でした。霊的にはやがて、第四言で、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27・46)と叫ばれる、御父との断絶という、まさに最極限の苦痛と暗黒が控えていました。
Ⅱ.極限の赦しの祈り
「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。」(35)と、議員たちはあざ笑って言いました。しかし、十字架は人々の救いのためであるということをご承知で、イエスは自分を救われなかったのです。さらにイエスの十字架は、すべての人の赦しのためであるということです。それを示すのが本日の中心聖句です。十字架上の七言の中の最初の一言です。ルカだけが記しているものです。【<彼ら>とは直接には大祭司やパリサイ人であり、ローマの兵隊です。しかしパウロは「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず」(ローマ3・23)と言っています。ですから、イエスの十字架は、すべての人の赦しのためなのです。】(『牧羊者』p.8)<すべての人の赦しのため>全世界、全歴史上の<すべての人の赦し>です。‘Once for ALL’(すべての人のためのただ一回限りの贖いの十字架)によってです!更にはこの祈りの言葉を味わう時、「自分が何をしているのかが分かっていないのです」から赦して下さい という100%の赦しの言葉です。ご自分の身代りの死によって無条件に完全にお赦しくださいとの祈りが、御父に受け入れられたればこそ、今、私も罪を悔い改めて全き赦しにあずかれるのです。
♪罪咎を赦され 神の子となりたる わが魂の喜び 比べ得るものなし
日もすがら証しせん 夜もすがら主をほめん
「御救いは妙なり 御救いは奇し」と ♪ (新聖歌266番1節)
<お知らせ>
▷主の2025年度新年度を迎えました。神に創造された自然界は春を歌っています♪
▷受難節の中にあって礼拝では十字架の極限の「愛」を魂に刻みました。
▷礼拝の中で「新会堂」のために共に祈り午後には「プロジェクト希望にむかって委員会」が行われます。
▷次週4/13㈰は「パームサンデー」「受難週聖餐式礼拝」です。そして4/18㈮が「受難日記念祈祷会」4/20㈰が「復活祭・イースター礼拝」。本日は伝道用チラシが配布され祈りをもって「アンデレカード」で祈っている方々や求道中の方々、かえるクラブの子どもたちやご家族に祈りをもってご案内します。
