8月最終聖日礼拝でした。2025.8/31(日)

≪今週のみ言葉≫「いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ。」

                        ヨハネの福音書12章27節(口語訳)

説教題: 『十字架への決意』   聖 書:ヨハネの福音書12章9~19

 最近のニュースには、殺人事件がよく報じられています。簡単に人を殺すことには驚きです。しかし、聖書によりますと、人類最初の人アダムの子が、カインとアベルの間に殺人事件が起きています。その動機は「妬み』でした。すなわち「妬みの心」は人類の最初の頃から持っていたことが分かります。その妬みの心こそが、救い主を殺害する動機となったのです。

.祭司たちの妬み 

①奇跡に対する妬み イエス様は祭司たちの偽善を激しく指摘したためイエス様と、敵対関係となり、イエス様を憎みました。しかし、イエス様の奇跡の技には対抗できず、妬みの心を募らせていました。そんな時更なる事件がおきました。 

②ラザロのよみがえり 都エルサレムに近いベタニヤに居たマルタ、マリヤ、ラザロ一家のラザロが病で死に、墓に葬られました。イエス様はその四日後に彼の墓の前に立たれました。そして、墓穴に向かって「ラザロよ、出て来なさい!」と叫ぶと、なんと死体が歩いて出て来たのです。これは、信じられない驚く事件でした。それを伝え聞いたエルサレムの人たちが大勢ラザロを見るために押しかけ「イエス様は神の子の救い主だ!」と言うようになったのです。それを知った祭司たちは「妬み心」を募らせ殺害を決意するに至ったのです。本当に「妬み」は恐ろしいものです。

Ⅱ.イエス様の決意 それはまたイエス様も、ついに「なすべき時」が来た事を察知されたのです。聖書に「するとイエスは答えて言われた。」「人の子が栄光を受ける時が来た。よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」(ヨハネ12・23、24)と言われ、さらに「今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言おうか。父よ、この時からわたしをお救いください。しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです。」と、心が激しく揺れ動く中に十字架の道を選択してくださったのです。そして行動に出られたのです。それがエルサレム入城でした。それまではイエス様は旅から旅の生活で、行方が定かでありませんでした。しかし、この時からは過越の祭で、人がひしめく都の大路をロバに乗ってイスラエルの王のように行動してきました。それは祭司たちの「妬み」が最高点に達することを見越してのことでした。この事から、イエス様の十字架刑は、誰かから強いられたことではなく、自ら自発的に進まれた道でした。「ホサナ!」と歓声をあげる人々の声、しかし、次の瞬間、「十字架につけよ!」と叫ぶことを知っていながら眺める気持ちはいかばかりでしょうか。それ以上に、世界の滅びる人々の、信じて救われた喜びの瞬間こそ、見ていたのではないでしょうか! すさまじい愛の決断でした。この愛を忘れずに。

<お知らせ>

▷立春を過ぎてもまだまだ暑い日々です。その中も、8月の1カ月、守られましたことを、主に感謝いたします。

▷8/26(火)~28(木)備前市にある香登教会にて、第64回香登修養会が祝福のうちに、対面とYouTubeのハイブリッドで行われました。最終の宣教聖会では、フルタイム(直接献身)への招きに、一人の兄弟と一人の姉妹が応答されました。感謝し、続いての主の良きお導きをお祈りいたします。

▷次週9/7(日)はRally Day(全員集合!)、「振起日聖餐式礼拝」です。夏の疲れを癒して頂き、良き実りの秋へと進みましょう!