2020年前半期最終礼拝です。2020.6/28㈰
≪今週のみ言葉≫
「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。ヨハネ4章24節
説教題:『天の父を礼拝する』
聖 書:ヨハネによる福音書4章13節~26節
4/19㈰~6/28㈰、11週に亘って「自粛、自宅礼拝」を守らせて頂きいよいよ願わくは次週7/5㈰より、公同の礼拝、共に礼拝堂に集っての礼拝にと祈り願って、備えをしたいと思います。
Ⅰ.生ける水を求めて(13~18節)
旅の疲れを覚えて、イエスはユダヤからサマリヤへ行く途中、サマリヤを通過するのでしたがヤコブの井戸のそばに座られると、昼の12時頃、ひとりのサマリヤの女が水を汲みに来ました。「水を飲ませて下さい」とユダヤ人の男性に頼まれて、女は驚きました。BC722年、北王国の首都サマリヤはアッスリヤに滅ぼされ、そこにアッスリヤ人が入り込み、混血民族となったサマリヤ人たちはエルサレム神殿には受け入れられず、ゲリジム山に礼拝の場所を建て、以来ユダヤ人とサマリヤ人は反目関係にあったからでした。しかしイエスは、「『水を飲ませてくれ』」と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」(10)と言い、13,14節のみ言葉を聞いた女が、生ける水を求めると、イエスは、「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」(16)と言われました。女は深い罪意識と共に、神にゆるしを乞うための犠牲を私はどこでささげようか?と、「礼拝」の話に入るのです。
Ⅱ.まことの礼拝をする者(19~26節)
「女よ、わたしの言うことを信じなさい」(21)とイエスは切り出し、ゲリジム山でも、またエルサレムでもない所で、「父を礼拝する時が来る」(21)。まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられる」(23)と語られ、「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」(24)と告げられました。 ≪礼拝は祈りよりも深遠ことです。神を礼拝することは、神と交わることよりも深いことです。天の御使いの礼拝を見て下さい。神の玉座の前にひれ伏し、冠を投げ捨てて神を礼拝しています。これはまことの礼拝です。自分を捨て、神の偉大さを感じて神を賛美することは、まことに神を礼拝することです。まことの礼拝は、神がすべてのすべてであること、人間は無に等しい者であることを感じて神を礼拝することです(中略)私たちが心の中に14節の泉をもっているならば、23節24節のまことの礼拝をすることができます。≫(バックストン著作集第7巻R109~110) 御子キリストの血によって罪ゆるされ、洗われ、永遠の命に至る泉を内に頂いた者こそ「人として最高の行為」である「まことの礼拝をする者」として生涯、み前に立つその時まで生かされましょう!
<お知らせ>
▷2020年もはや前半期を終了しようとしています。新型コロナウイルス一色でしたが、その中にも様々なオアシスを神様は下さいました。感謝をあらわして神のみに信頼してなお注意深く、「公同の礼拝」に7/5㈰より踏み切りたいと祈り願っています。
▷「今月のメッセージ」「7月のお祈り」「ヘッダー(ローズマリー)」が更新されます。