「令和2年7月豪雨」御見舞い申し上げます。2020.7/19(日)
≪今週のみ言葉≫
「あなたは祝福の基となるであろう」。創世記12章2節
説教題:『祝福の基』
聖 書:創世記12章1~9節
高松にも新型コロナウイルス感染者が3人、4人と起こされています。感染から守られるべく、祈り深く注意していきましょう。そうした中も「神の民」として安息日にみ前に出て礼拝をささげ、祈祷会に出て「祭司」の務めを忠実に果たしていきたいものです。今週はノアから第11代目にあたるアブラム(のちアブラハム)を通しての神様からのメッセージです。
Ⅰ.神の選びと約束(創世記12章1~3節)
ノアから10代目にあたる「テラはアブラム、ナホルおよびハランを生み、ハランはロトを生んだ」(11・27)のでしたが、カルデヤ(バビロニア)のウルに住んでいたテラは、彼らとアブラムの妻サライを連れてカナンの地に行こうとして、ウルを出てハランに着いて、そこに住み、テラは205才で、その地で死にました。「時に主はアブラムに言われた」(12・1)、それはBC.2100年頃のことでした。実は使徒7・2~3によるとウルにいた時、アブラムは神の命令を聞いていたようですが、それを心に留めつつ、父と共にハラン(カラン)に来て、ここにて再び明確に聞いたのでした。神はバベルで散らされた人々のために救いと祝福をもたらす人物(国)としてアブラムを選ばれました。アブラムは父テラがウルにおいてもハランにおいても月神を拝む偶像崇拝者であることを知っていました。またアブラム夫婦には子どももありませんでしたから、この神の約束が、そんな自分に与えられていることは信じられない思いだったのでしょう。人の選びは「~だから」‘because of’の選びです。「利益になる、だから選ぶ」「できる、だから選ぶ」のです。しかし、神の選びは「にもかかわらず」‘in spite of’の選びです。アブラムの場合で言えば、「偶像崇拝者の子であるにもかかわらず」「子どもが今はないにもかかわらず」選ぶという選びでした。お互いの選びも神の選び以外の何ものでもありません。今こうして神の子として御前にあるのは、聖なる神の御前には罪人であったにもかかわらず、選ばれてあるのです(Ⅰコリント1・26~31)。そして偉大過ぎるほどの約束、「あなたは祝福の基となるであろう」との約束が与えられています。一方的な選びと約束に感謝あるのみです。
Ⅱ.アブラムの信仰の従順(4~9節)
「アブラムは主が言われたようにいで立った」(4)。「国を出て、親族に別れ、父の家を離れ」(1)「妻サライと、弟の子ロトと集めたすべての財産と、ハランで獲た人々とを携えてカナンに行こうとしていで立ち、カナンの地にきた」(5)のでした。それは二度とハランには戻らないという覚悟のあらわれでした。モレのテレビンの木のもとで、主はアブラムに現れて、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」(7)と言われ、アブラムは主のためにそこに祭壇を築きました。約束の地において最初に築かれたのは礼拝の場でした。アブラムがハランをいで立ったのは75才の時でした。決して容易な決断ではなかったでしょう。しかし、神を信じる信仰による決断でした。そしてそのアブラムを、神様はいくつかの失敗を通されながらも「祝福の基」として造り上げられました。「あなたの子孫」(7)とは、ユダヤ人を指しますが、究極的には、イエス・キリストを指します(ガラテヤ3・16)。「あなたを祝福するものをわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう」(3)とは、なんと重厚な内容の約束でしょう!
<お知らせ>
▷新型コロナウイルス感染者が、高松市のみでなく、三豊、観音寺、土庄からも初感染者が出て、7/19(日)には香川県は44名を記録しました。「感染警戒期」と知事が掲げられました。祈りと覚醒を要します。
▷せっかく再開された礼拝、かえるクラブが守られますように!継続されている祈祷会、役員会も守られ祝福されますようにお祈り下さい。