6月最終礼拝でした。 2021.6/27(日)

≪今週のみ言葉≫

 「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」ヨブ記1章21節

説教題:『苦しみの人ヨブ 聖 書:ヨブ記1章1~22節

2021年前半期の終り1ヵ月(6月)は自宅礼拝となりました。詩人が歌うように、共に集っての礼拝の恵みに渇いた1ヵ月でした。「万軍の主よ、あなたの住まいは なんと慕わしいことでしょう。私のたましいは 主の大庭を恋い慕って 絶え入るばかりです。私の心も身も 生ける神に喜びの歌を歌います。」詩篇84・1~2 『苦しみの人ヨブ』本日のテキストは、42章まであるヨブ記のほんの入り口です。しかし、その中にもすでにヨブ記を貫く一筋の光を見ることができます。ヨブ記のテーマは≪義人の苦難≫です。

Ⅰ.義人ヨブの苦難 (1~19) まずは1~5節に義人ヨブが紹介され、6~12節でいわばヨブになぜ苦難が降りかかったかの舞台裏が示されています。だからと言って≪義人の苦難≫に納得がいくわけでもありません。「ある日」(13)次々と災いの知らせがヨブのもとに届けられました。何と!一日のうちに、ヨブのすべての財産であった、牛、ロバ、羊、らくだと、世話をしていた若者たちが奪われたり、焼き殺されたり、殺されました。加えて子どもたち10人とも全員が倒れた家の下敷きとなって死にました。考えられないようなひどい痛手でした。なぜこの「義人ヨブ」にこの苦難が?と誰しも怪しんで当然のような出来事でした。しかし実は「神からの信任」あってのことでした。

Ⅱ.義人ヨブの信仰(20~22) 「このとき、ヨブは立ち上がって上着を引き裂き、頭を剃り」(20)とありますから、あまりの悲しみと共に怒りの心さえ沸いたのでしょう。しかし、「地にひれ伏して礼拝し、そして言った。『私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。』」(20,21)。ヨブの信仰は「自分の人生の一切の出来事に『神の主権』を認めることでした。」(『牧羊者』p.87)ヨブの妻の信仰は、人間中心の信仰でした。(2・9)。「あくまで神を聖とし、神の主権にひれ伏す神中心の信仰と、神を認めると言いながら、いつも人間の思いを優先し、条件を付ける人間中心の信仰との違いが明らかです。」(『牧羊者』p.88) 【証し】ヨブ記を地で生きた向後昇太郎先生 1923(大12)年の関東大震災で片目に燃え木が刺さり失明義眼となり、九死に一生を得て救いに与られました。結婚され、日本伝道隊員として奈良に開拓をされました。1947年に誕生した(小野牧師と同じ)次女 良子ちゃんが、突然の脳膜炎で、しかし明確な救いを得て8才で召天しました。先生はやがて関西聖書神学校の舎監・校長を勤められましたが、講義科目は「ヨブ記」でした。小野牧師が在学中(1971年)長女 偕子さんが心臓病にかかり、幼い娘さんを残して召天しました。「向後先生、ヨブ記の講義をやめられたら」とさえ他の教師から言われたほどでした。1991(平3)年、先生の告別式に参列しました。まさにヨブの如く、神の主権の中に生き抜かれた先生の告別式は聖霊の臨在と透明な天の輝きを覚える忘れがたいものでした。

<お知らせ>

▷本日午後の役員会にて7月以降のことが決まります。決まり次第「7月のお祈り」ページにてお知らせいたします。

▷7/1㈭には「今月のメッセージ」「今月のお祈り」「ヘッダー(キバナコスモス)」が更新されます。

▷主の年2021年も前半期を終え、後半期に入ります。「人の心には多くの思いがある。しかし主の計画こそが実現する。」箴言19章21節 祈り深く後半期を歩みたく願います。