レント(受難節・四旬節)を過ごしています。2022.3/13(日)

≪今週のみ言葉≫

「この貧しいやもめは、だれよりも多く投げ入れました。」ルカの福音書21章3節

  説教題: 『感謝のささげもの』  聖 書:ルカの福音書21章1~4節

   子ろばの背に乗ってエルサレム入城されたイエスは、その受難週の日々、「毎日、宮で教えておられた。」(ルカ19・47)のでした。昼間は宮で教え、夜にはオリーブ山で祈っておられました。本日の出来事は、静思の水曜日と言われる日のことだったと思われます。

Ⅰ.金持ちの献げる心 「イエスは目を上げて、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れているのを見ておられた。」(1)とあります。マルコ12・41では、「それから、イエスは献金箱の向かい側に座り、群衆がお金を献金箱へ投げ入れる様子を見ておられた。」とあります。「座る」ことは審判者として権威の座に着くことを連想させます。当時の献金箱は、箱にトランペット状の口がついたもので、神殿の「婦人の庭」に13箱置かれていました。金持ちたちは、その献金口に硬貨をジャラジャラと大きな音を立てて投げ入れていたのです。周囲の人々は思わず振り向きます。金持ちたちはそうした人前での献金行為を好みました。彼らは残りを十分取っておいた上で有り余る中から献げたのでした。

Ⅱ.貧しいやもめの献げる心 「そして、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二枚投げ入れるのを見て、」(2)、何とイエスは、比較され、評価されたのです。人に見られるために献金をする偽善的行為に対して、このやもめは、対照的に人々から評価されない献金をしたのでしたが、レプタ二つが、やもめにとってどのような意味を持っているのかは、人々には隠されていました。その隠れたことをイエスは見ておられ、しかも明らかにされたのでした!「貧しい」(ギリシャ語・ペニクラン)というこの語は、ふつうルカは用いていないし、新約聖書でもここだけにしか用いられていません。やもめの貧しさが強調されています。「やもめの家を食い尽くし、見栄を張って長く祈ります。」(20・47)にも、やもめの貧しさの一因を見ます。「レプタ」(小さい、薄い)銅貨二枚。これは、献金として受け入れられる最低額でした。「まことに、あなたがたに言います。」(3)直訳では、「わたしは真実をあなたがたに言う」で、イエスは人の目には留められないやもめの小さな行為の内にある真実を明らかにされ、尊ばれました。「この貧しいやもめは、だれよりも多く投げ入れました。」(3)文字通り訳すと、「他のすべての人々の献げものすべてを合わせた分よりも多く」となります。それは、「持っていた生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」(4)全生活費が献げられたことを、イエスはご存じでした。このやもめの献金は、神への「感謝」「信頼」「献身」の心のあらわれの献げ物でした。お互いの献金も『神に喜ばれる献げ物』でありますように。

<お知らせ>

▷本日は、礼拝後に『新会堂に関する臨時総会』が行われました。今回の投票結果は、「否決」となりました。なお、主のために良き新会堂をおささげしていけますように、続いてのお祈りをよろしくお願いいたします。

▷続いて、主の受難を偲びつつ、悔改めの心をもって、この時期を過ごしたく願います。