3月最終聖日、年度末を迎えました。2022.3/27(日)
≪今週のみ言葉≫
「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。」コリント人への手紙第二5章21節
説教題: 『身代わりの十字架』 聖書:ルカの福音書23章13~25節
3月も終わりを迎えると、自然界は春の気配を増してきます。しかし尚その中にもまだ冷たさが残っている者です。霊界も同様によみがえりのイースターを祝う喜びを待ち望みつつ人類の罪の深さと冷たさを深く心に覚える時期のように思えます。
Ⅰ.有罪として処刑されたイエス 今日のところは十字架に処刑される直前の裁判の場面です。そのころイスラエルを治めていたのはローマでしたから、裁判はローマ総督ピラトによって行われました。ピラトがいくら調べても、このイエスの内には有罪となる理由は見当たりませんでした。ピラトはそこで、3度もイエスを釈放するよう、祭司長たち、議員たち、そして民衆に語りました。14~16節、20節、22節と。ところが彼らは一斉に叫び出しました。「その男を殺せ。バラバを釈放しろ。」と!この「バラバは、都に起こった暴動の人殺しのかどで、牢に入れられていた者であった」(19)のです。民衆の声はますます大きく激しくなり、ピラトは暴動を恐れて、「彼らの要求どおりにすることに決めた」(24)のでした。処女マリヤの胎に宿られた御子イエス・キリストは、まさに「罪を知らない方」であられました。そうしたお方が罪のど真ん中に33年も生きてくださったこと自体、想像を絶するような受苦であられたに違いありません。そして十字架の判決が下されたのでした。[けれども、イエス様は、「わたしには罪はない!」と言い返すことをしませんでした。なぜでしょうか。罪のないイエス様が十字架にかかって神様に見捨てられることこそ、イエス様が心に決めて受け取った、神様の道だったからです.](『牧羊者』P.88)
Ⅱ.無罪として釈放されたバラバ 「バラバ・イエスか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」(マタイ27・17)とあるように、バラバも当時ありふれていた「イエス」という名前だったのです。[バラバにしてみれば、助かる希望が全くなかったのに自分と同じイエスと言う名の男が突然にあらわれ、自分に代わって死刑になってくれました。それもバラバが自分の罪を償ったわけでもなく、心を入れ替えたことへの報いでもありません。バラバは何も知らず、何もしないで、ただ赦されました。この一切は、人が救われるのは、その行いによるのではなく、一方的な神の恵みであることを、極端なほどにあらわしています。](『牧羊者』p.89,90) このとき、イエスが身代りとなられた罪人は、もちろんバラバただ一人だけではありませんでした。裁判を曲げたポンテオ・ピラト、妬みに満ちあふれた宗教家たち、彼らにあおられた無知な群衆、彼らの罪はまた私たちのうちにもあるのです。主はそのようにして私を含む全人類の罪を身代りに十字架で負って下さったのでした。感謝以外の何ものでもありません。
<お知らせ>
・今週中に早くも4月に入ります。「今月のメッセージ」「4月のお祈り」「ヘッダー(桜)」が更新されます。
・3/21㈪㈷第72回教団総会が行われ、4/1㈮付けにて各教師が主と教団の任命を受けて遣わされました。高松新生教会には主管牧師として森沢尚生師(徳島栄光教会)と嘱託牧師として小野淳子師が遣わされました。この一年もお祈りを持ってお支え下さい。
・4/17㈰のイースター礼拝案内が、本日届けられました。合同聖餐式礼拝です。受洗者も予定されていて感謝です。0才~高校生までには入学・進級の祝福のお祈り、豪華プレゼントが用意されます!午後には「CS春のお楽しみ会」の予定です。